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Sep.3,1999 (Fri)
◇ブランドの魔力
我ながら傲慢な手抜きをやってしまった感じがある。
なに?「何のことだ」って?↓下を見れば分かるだろうが。
本日、ようやく五日からの実験のめどが立つ。
二日前になって、ようやくだ。
ああ、これもパーツのためと考えれば・・・・返ってむかつく(-_-;)
俺は一体何のために実験をするのだろうか?などという一見哲学的に見えそうで、単なる現実逃避の妄想はうち切るとしよう。sgiがnvidiaと提携を結んだのは、ちょっと前の事だった。
と、思っていたらnvidiaがジオメトリエンジンを載っけたグラフィックチップを発表した。
「・・・・じおめとりえんじん〜だとぉ!」などと私が叫んだかどうかは別に問題じゃない。
いよいよもってsgiがPCベースのグラフィックワークステーションに乗り出した意味が明らかだと言えよう。
そう!PCの恐るべき性能向上が、旧来の専用コンピュータシステムを喰いに来たのだ。
PCがコンピュータ業界を席巻した当初であれば、「スーパーコンピュータのシェアを荒らすことなど不可能だ」と強気に出れたかも知れない。
だが、昔のメインフレームが裸足で逃げ出すようなスペックのPCがそこいら中で使われている今、誰がこの言葉を否定できよう。
CGに特化したプロセッサの技術も、今やグラフィックアクセラレーターとして発売されてしまう。
こんな世の中で生き残りを計ろうとするsgiの戦略もわからんでも無いが、sgiにあこがれてきた俺としては、甚だ寂しい限りだ。
Macintoshが安く売られ、sgiの新機種がWindowsNTを載せている・・・・。
此処で数少ない読者に聞こう、「あなたがもし、フェラーリ好きだとしよう。フェラーリが造ったカムリやカローラをあなたは買いたいでしょうか?」と。
確かにブランドを身につける物欲は満たされよう。
快適な走り心地と空間をあなたは手に入れるだろう。
だが、本当にそれはあなたの欲しかったフェラーリですか?今日のお話は”物欲にもプライドを”という内容でした。
それでも欲しいけどね♪(^^;
Sep.4,1999 (Sat)
明日に始まる実験の準備で忙殺される・・・。
ひとり寂しく(嘘)研究室で、白い怪しげな粉末の計量に勤しんでいました。
白い怪しげな粉末は、電子計量計で計るのですが、この計量機が何処にあるのかが分からないがために友人に助けを依頼。
しかしながら、友人の研究室で取り扱っている計量機はミリとか、マイクロが重さの前に付くようなスケールしか無く、借りるのを止める。
ミリグラムの差が、結果にこれっぽっちも関係ない実験をやってる事が、嬉しくもあり、哀しくもあり・・・。夜中なにげに耳を掻く・・・
右の耳から異様な感覚・・・
心の中では「かかったぁ!」・・・
ゆっくり耳掻きを引き出すと・・・
そこには・・・
面積にして3かけ4p程度、容積にして小指の先ほどの耳垢が・・・(^^;
ここで、私の耳について良く知らない方へ説明をしておこう。
私の右の耳は、遡ること小学生の頃から、やたらと耳垢が奥へ溜まってしまうという難儀な性質がある。
その状態で海やプールにでも入ろうモノなら、内部の耳垢が水を吸って膨張→耳をふさぎ難聴の原因、となってしまうのだ。
今まで四回ほど耳鼻咽喉科で、これらの巨大な耳垢を取り除いてきたのだ。
周期としては三四年に一回の割合だ。今回は別に海やプールに行った訳ではなく、耳道内での出血により膨張していたのだ。
もちろん医者には通ったのだが、耳道および鼓膜との接着が厳しく、全てを取り除くことは出来ていなかったのだ。
結構な量を取り除いた後に、乾燥させておくだけの治療しかしていなかった。
だが、治療を一段落つけたものの、耳の聞こえの悪さは直って居なかった。
多分、治療の時にさんざん耳に入れたグリセリンが、今頃になって皮膚と耳垢を離すことが出来たために、今回の事となったのだろう。ひとり部屋の中で、しげしげと出てきた耳垢を観察する。
でかい!くさい!うわっ血が混じってる!などとひとしきり連呼すると。
圧迫から解放された右の鼓膜が、バンバン音を入れ始めていた。
「聞こえる・・・聞こえるよトオサン!」などと訳のわからんセリフを吐きたくなるほどに、音が聞こえだしたのだ。次の日、友人に一言。
「そうそう、やっと耳がステレオになったんだよ・・・」
Sep.5,1999 (Sun)
結構準備に時間のかかった実験開始日♪
できれば天候が、曇り空で風が吹いていると丁度良かったのだが・・・。
「古来、願望はうち砕かれるためにある」という故事の通り、快晴(^^;
暑い上に熱く、肌の小麦色が褐色に変わる感覚があった。当日の下準備の後に、実験開始。
が、いきなりマシントラブルにより、機械動かず。
機構の一部のスプリングが、メンテナンス時に飛んでしまっていたことが判明。
学生一人が、手近なホームセンターにスプリングを買いに走る。
戻ってきた後に、実験再開(というか、始動だけど)。
午前中の予定の五分の一程度の作業しか出来なかった。
午前のロスを取り戻すべく、午後はひらすら続けた。
Sep.6,1999 (Mon)
昨日のロスを取り戻すべく、作業を開始。
早朝組と標準組の交代制も旨く行き、かなりのペースで作業が行われていた。
昼休憩を挟んで、作業開始。しばらくすると雲行きが怪しくなる。
当然雨が降ってくる。
パラパラと降っているだけかと思いきや、たまに土砂降りになる・・・・・・作業中断(^^;もとい、作業中止。にまで発展する。
作業の遅れがこれで半日になる。
当初予定していた作業日数は三日間だったが、結局四日目にずれ込むことが間違いなくなった瞬間だった。晴れるか、降るか、はっきりしろぃ!
Sep.7,1999 (Tue)
今日もまた、昨日のロスを取り戻すべく作業を開始。
が早朝組、どしゃ降りと雷にあえなく敗退。
常勤連中がやってきた頃には、誰もいなくなっていた。
誰もいなくても、天候は曇りで一応雨は降っていない。
三人目が到着した頃にようやく作業開始。
三人でローテーションを組み、三人で出来る範囲で作業を進めて行く。
昼過ぎに早朝組が登場し、無理のない作業が出来るようになる。
駄菓子菓子、夕方また雨が降り始め、早めに切り上げる結果となる。
終了予定日は今日であったが、あえなく延長された。◇ジョグってドコモ
作業を終えた後、DoCoMoショップに行く。
現在、DoCoMo中国では一年以上の契約期間を経ている、旧型機種使用ユーザーを対象にキャンペーンを行っており、手数料のみで最新の207シリーズへ機種交換できるというのだ。
それまで使用していたのはN203で、これは本体をねじると”キシキシ”音を出す事で不評だった機種だ。
俺だって、好きこのんでこんな機種を選んだ訳じゃ無い。
型落ちで只だったから、これにしただけだったのだ。
家から一番近い代理店で契約したものだから、こういうことになったのだが・・・。
まあ、それでも機能しない訳じゃないから不満タラタラながらも、一年以上同じ機種を使っていた。
ちなみに、今回買った機種は、”SO207”Sonyの製品だ。
別にSony好きという訳ではない。
ジョグダイヤルが欲しかっただけだ。携帯電話のインターフェースとしてのジョグダイヤルは、かなり優秀だと思う。
メモリしてある番号の検索スピードが、他の機種と違ってめっぽう速いのだ。
短縮ダイヤルをいちいち設定するより、絶対に早いと思う。
唯一弱点が有るとしたら、左右どちらかの手になれてしまって、”両手どちらでも違和感無く使える”というのは無理だろう。
この点から、中央に大型の検索ボタンを配した機種が主流になったのだろう。
普通の人は、親指で有れば左右あまり変わりなく使えるものだからだ。ああ、これでやっと一画面で十一桁の番号が表示できる・・・・漢字が使える・・・・(^^;
Sep.8,1999 (Wed)
今日こそは終わりにせんとて、作業を開始。残すところも少なく、今日中に終わることは確実だった・・・。ただし、雨さえ降らなければ・・・だった。
そう、よいこのみんなはもう分かったよね♪
そう、降ったんだよ雨が!でも、作業は続行。
みんな「いい加減終わらせたい」という気持ちが、強かったんだねぇ。取り敢えずは作業は終わった。
駄菓子菓子、やっと50a(ごじゅうあーる)分の仕事が終わったら、次に60a(ろくじゅうあーる)の仕事が舞い込んだ。
ジョーダンはよせよ・・・。
Sep.9,1999 (Thu)
教授所有の畑は終わった・・・だが、昨日書いたように、今度は国の研究機関のとある実験圃場(畑の事)の余っている土地(60a)に、植えなければならない。
いきなりできるわけも無く、また下準備に追われる事となる。「何時になったら自由になるのだろう・・・」などと、古来捕虜達が絶望にさいなまれながら口にした様なセリフを吐いてみるが、だからといって状況は変わるモノではない。
”働き続ける”事だけがこの一ヶ月に及ぶ拘束を抜け出す方法だ。◇何故に頭が取れない?
仕事を終えて帰ると、麻雀の誘いが来た。
「挑戦は受けて立つ」それが私のモットーであるから、翌日朝から仕事だろうが関係なく麻雀をする。
半荘一回目東一局、いきなり親のハネ満を上がり、一万八千点をHAL9000からぶんどる。
その後は子のハネ満を二千点で蹴ったりして、なかなかの出だしであった。
駄菓子菓子、東二局に役満(国士無双)を上がられ、あえなく二位。
四万八千点も持っていたのに、トップを取れない・・・・・何かおかしい。
半荘二回目東二局、またもや親のハネ満を上がる。
だが・・・東三局またもや役満(国士無双)が出る・・・。
四万一千点持つものの、トップ取れず。
半荘三回目、少し沈む。
半荘四回目、全く点数を動かさないまま東場を終える。
その後、二千点程度以外は振り込まず、プラスを維持したまま終える。
結果、二着三回、ラス一回。
トップを取れなかった前半二回が痛かった。
Sep.10,1999 (Fri)
今日で下準備の作業を一区切り出来る・・・そうなるように、結構なペースで作業をこなす。
午後から、植え付ける予定の畑(国の施設)にトラクタを運ぶ。
圃場(畑)を見て・・・しばし呆然。「・・・・広すぎだぜ・・・・・」
一瞬、こんな話を決めてしまった教授に殺意を覚えた。
問題は、実際に働く学生の方である。
頼むから、俺に文句を言うのだけは止めてくれ。
俺が提案した訳でも無ければ、決定したんじゃ無い。
作業主任の俺に当たった所で、何の解決にもならないし、既にこれは決定事項なのだから・・・。
Sep.11,1999 (Sat)
◇今時吉野屋オープン
昨日砂上の楼閣市で、やっと吉野屋がオープンした。
そして夜中の九時過ぎに前を車で通る・・・並んでるよ(^^;
砂上の楼閣県は田舎だ。都市生活者から見たら、救いがたい田舎である。
田舎というのは往々にして新しい物好きである。
それが砂上の楼閣県である。昔(三四年前)は、結構馬鹿なことをやった。
自分の出身地域には、ごく当たり前に有るファーストフードが無いがために、手近な街へ数時間掛けて喰いに行った。
夜中・・・翌日大学があろうが無かろうが、突発的に姫路や岡山に行っていた。
田舎や都市部に関係なく、突発的にさして美味くないが、今食えないモノが喰いたくなることがあるだろう?
俺は、ある。突発的に讃岐うどんが喰いたくなる。
突発的に天一のラーメンが喰いたくなる。
突発的に長浜ラーメンが喰いたくなる。
突発的に明石焼きが喰いたくなる
- ・・・これを続けると際限が無いので、この辺りで止めておくが、これと同じように吉野屋の牛丼が食いたくなる事があった。
マクド(マクドナルドハンバーガーの略、関東と違いマックと言わず、関西系のマクドが主流である)のゴミのようなハンバーガーを腹一杯喰うのは拷問に近いが、やはり適正価格時期(ハンバーガーが六十円位になる時期の事)には喰いに行ってしまう。
不味いモノを食べることは結構面白いモノだ。砂上の楼閣県に住んで、まる五年になる。
住んでいる間にローソンが進出したり、それに対抗してポプラが増えたり。
たった五年の間に、随分様変わりしてしまった。
後一年半は余裕で居る状況だが、歳を喰った後にまた来たときには、やはり同じように感じるのだろう。冒頭の帰り道、時間は十一時前辺りの事だ・・・まだ並んでるよ(-_-;)
Sep.12,1999 (Sun)
昨日は久々の休日。
考えてみると、二十七日を最後に、昨日まで全く休みを取っていなかった。
何と勤勉な事だろう(^^;
休みは1日だけで、今日も早速仕事だった。仕事終了後、とあるつてのとある後輩の所属するサークルのパソコンを復旧準備。
HDDにセットアップに必要なファイル及び、再セットアップの原因となったウイルス駆除ソフトのインストールファイルを書き込み、HDDからインストールを行う。
大抵のPCは、HDDからセットアップを行うのが一番早い。
特に、古いマシンではCD-ROMが遅いので、HDDセットアップが一番効率が良い。
今日はここまで。
Sep.13,1999 (Mon)
今日は十三日である。
「十三日なのに何故金曜じゃ無いんだ!」などと言っても、最近は誰も相手にしてくれない。
沙漠のミッションが、既にエンドレスの様相を呈してきただけに、たまにはくだらない戯言だって言いたくなる。
”状況”(わかるかなぁ?)の開始は、明後日の敬老の日と相成った。
休日?知ったことか!俺は休日関係無しで盆過ぎからやってるんだぞ!と、休日開始を渋る連中に面と向かって言えれば良いのだが、責任者にあるまじき言動は慎むとしよう。なんか最近・・・仕事(研究)にたいする愚痴をここ(日記)に書いてばかりの様な気がする。
いや、気がするんじゃ無くて、実際にいっぱい書いているのだが・・・。
ま、研究室の人間はここページに来ないから幾ら書こうが構わないのだ。◇アルマゲドンが何故にダメか?
さて、いつもの愚痴はこの辺にして置いて。
先日、友人が借りた「アルマゲドン」について書こう。
アルマゲドンは既に一度、映画館にて観ている。
私は何故にアルマゲドンを面白く無いと言うのか?その事についてちょっと書いておこう。私は大衆性というモノを否定したい訳ではない。
私だって大衆の一人に過ぎないのだし、多くの人間に受け入れられるには、それなりの理由が有るはずだと考えているからだ。
駄菓子菓子、一介の映画好きとして、アルマゲドンは許容しがたいのだ。
何故か?それはハッキリ言って非常に雑な映画だからだ。
同じネタを使用しているということで、「ディープインパクト」と比べられがちであるが、アルマゲドンは”ヒロイックファンタジー”でありディープインパクトは”SF”なのだ。ヒロイックファンタジーを現代の宇宙事情でやるのは構わないが、それにしても考証が酷すぎる。
宇宙空間で炎が燃え上がり、床に資材が転がり落ちる様な事は、例えどんな駄作でもやるべきではない。
”演出”と言えば聞こえが良いが、どんな映像も創り出せる今の感覚で言えば、”手間を惜しんだ”としか受け取れない。
つまり、同じように迫力のある無重力における画像を造れるにもかかわらず、”やらなかった”のだ。
そして、ブースターによって10G以上という、とてつもない加速度の中でわめき散らす登場人物達。
友人の証言によれば、「3Gで口を開くことが出来なかった」との事だ。
それの三倍以上の加速度の中で、どうやったら叫ぶことが出来よう・・・。
もちろん、映像の世界というモノは、「虚」と「実」を程良く混ぜ合わせる事によって、より観客を引き込む事が出来る。
だが、アルマゲドンで用いられているのは、私から言わせれば安っぽい「うそ」だったのだ。そういった造り込みが、明らかに足りない作品を観ていて、最後のシーンでの主人公の自己犠牲はまさしく取って着けたような印象しか私に与えなかった。
安っぽいヒロイックファンタジー・・・主人公に七難八苦を与え、それを乗り越えさせ、そして大局を見据えての自己犠牲をさせる・・・昔から使い古されてはいるが、それは面白かったからこそ使われる。
ラストへ至るまでの造りの雑さに辟易した私は、主人公が死のうが生きようが、感動も何もあったもんでは無かったのだ。ここに書いたのはごく一部でしか無く、突っ込み出せばキリがない。
だからこそ、私は映画の感想集において「アメリカが勝つ」としか書かなかったのだ。
(とある人に対する言い訳(^^;)アルマゲドンはまだ小なるものだ。
ハリウッドの体質として考えると、映画を輸出しているという考えが頭にあるのだろうか?
何時になっても直らない日本・日本人描写をどうにかして欲しい。
アメリカ=グロバリゼーションという驕慢さが滲み出る事が多々ある。
大いなるイナカモノなのかも知れない。
Sep.14,1999 (Tue)
はぁ・・・・。
今日の仕事は午前中で上がりだった。
帰宅後、シャワーを浴びた後に大学へ行く。
昨日から聞いていた学生達の予定を元に、作業シフトを組む。
「できた♪・・・・・俺だけ毎日じゃん」という、とても哀しいセリフを吐いたかどうかは、諸君らの想像に任せるとしよう。さて、昨日は何故か普段日記には書かないような事を書いてしまった。
これ一つで、表の「編集部」のネタに出来るのだが、一々下書きして、校閲して、編集して・・・面倒だ!からやらなかった。
まあ、それを言い出せば、友人とモスバーガーや吉野屋でダラダラしながら交わす議論の方がよっぽど面白いかも知れない。
深夜も近いファーストフードで、恥ずかしげも無く激論をぶっているでかい男が居たら私を思いだして下さい。これを書いているときに、突然助手が現れる。
とある学会の砂上の楼閣大学内の会員の教官が集まって会議をしており、会議終了後飲み会になったもののつまみが尽きたらしい。
それでいきなり我々(学生)に買いに行けとの命令が下ったのだった。
(と言うわけで、此処から先は買い出し後の文章です)買い出しの駄賃とばかりに、教授が500mlの缶ビールをくれた。
速攻飲む。空きっ腹にビールをぶち込んだものだから、回る回る。
体中の毛細血管全開で一気に血圧上昇。
バックンバックンと心臓が苦情を言うが知ったことではない。
それにしても酒に弱くなったというか、常飲しなくなって久しい気がする。
それこそ三年前なら、ウイスキー片手に卒論を書いていたモノだったが・・・。その後、またもやHAL9000と飯を喰いに出る。
適当に飯を喰った後は、いつものようにPCや研究関連の話で盛り上がる。
発端はSONYのPS2である。
黒い筐体に適度なライン、スリムな外観とプレステのロゴの配色が、NeXTに似て無くもないということからだった。
とにかく(PC)業界は家庭用電化製品などとの融合や統合を目指して動いている昨今、理想や願望ばかりが先走りしている。
実際に家電製品との融合を行っている・・・いや、行おうとしているベンダーは非常に少ない。
市場を席巻しているのは、ベンチャー企業の名を騙る単なる組立メーカーだ。
まあ、古参のベンダーは抜きにしておこう。
とにかく、理想が語られそれに賛同したところで、最初の一歩は誰しもが躊躇している。
いわゆる全く新しい商品が、消費者に受け入れられるのか?という懸念があるのだ。
そんな中で、自社製品という枠はあれど、比較的SONYが積極的に取り組んでいるように見える。
先ほど出てきたPS2などは、仕様やインターフェースからみたらまるっきりPCではあるが、DVDプレーヤーとしてオーディオコンポに機材の一つとして追加出来るような内容である。
MDやDVそしてDVDなどという、デジタルなコンピュータとの親和性の高い器機からだが、確実に融合を始めている。
ソフトさえそろえば、SONYのAV器機は全てが集中管理出来るようになるに違いない。
現時点で、そういう具体的なモノを感じさせるのは、やはりSONYくらいなのだ。このような転換期に在っては、やはりAppleの様なハードからOS・ソフトまでを提供している会社の方が方向性を定めやすい。
だが、Appleはコンピュータメーカーであり、総合的な電荷器機メーカーではないのだ。
その一点において、Appleの行く末がちょっと心配でもある。
しかし、Appleはコンピュータを家庭用の電化製品に引き下げた実績がある。
現在の下地を担ったAppleには、これからもそうある事を望みたい。
Sep.15,1999 (Wed)
◇沙漠のミッションセカンド発動
本日、「沙漠のミッションセカンド」が発動した。
ちょっと前に書いていた”ろくじゅうあーる”のアレだ。
昨日は昨日で、寝る前の天気予報が告げる台風16号が多少気にかかったものの、雨が降ろうが槍が降ろうが、鉄の決意で事にあたるつもりだった・・・・。
早朝電話がかかってくる。
「ねぇ、雨降ってるけど」という軟弱極まりない言葉が飛び出す。
「貴様ぁ!それでも誇りある砂上の楼閣大学生か!雨が降ろうが槍が降ろうが、一度やると言ったことはやるに決まってるだろ!」・・・・などと、言う訳もなく「止めよう、昼になったらまた考えるわ」と言って、久方ぶりの朝寝を決め込んだのであった。
結局昼からの小降りの時間を見て、多少なりとも作業を進めたに過ぎなかった。作業を終え、HAL9000と共に駅へ友人を迎えに行く。
「あいついつ来るって言ってた?」「さあ、八時頃ってしか聞いてないけど・・・」
七時半頃に駅に着き、駅構内のマクドでジュースなんぞを飲みつつ待つ。
しばらくして・・・「おい、八時頃ってのは八時半までを言うもんだよな」
「ああ」「もう八時半過ぎてるぞ」・・・それから暫くしてから友人から電話がかかってくる。
マクドへ来させると開口一番「八時頃ってのは、八時半までを言うんだ!」と罵ってやった。遅れたペナルティと言うわけではないが、晩飯をおごって貰うことになる。
「何処でも良い」などというので、そのまま焼き肉屋に入店。
焼き肉屋というのが不安なのか、予算は一万円と決めてきた。
オーバーした分は自分らで払えということだ。
勘定¥9970・・・・・ニアピン賞♪
Sep.16,1999 (Thu)
ミッションセカンドの二日目である。
午前の部の兵員・・・違った(^^;
作業員と共に作業開始・・・のはずが、機械の設定変更に手間取り、一時間を無駄にする。
時折雨がパラ付くものの、それなりのペースで作業を終える。
午後・・・・午前同様。疲れた・・・腹減った・・・有意義な事を書く気力が無い(-_-;)
Sep.17,1999 (Fri)
ミッションセカンド三日目、面積的な折り返し点を回る・・・筈だが、目に見える面積はまだまだ広い。
早いうちに面積を稼ぎたかったのだが、夕刻、台風に刺激された秋雨前線が降雨開始。
あえなく早じまいする。帰るとそのまま寝てしまう。
う〜む、いい加減疲れが溜まってきている様である。
四五十分ウトウトしているうちに、何もやる気が起きなくなる。
シャワーを浴びた後に買い物へ。
赤札商品を買いあさり、適当に喰らいつつテレビなんぞを久しぶりに観る。
う〜む・・・最近やたらとスーパーというかテロップが増えたなぁ・・・いちいち笑う場所を指し示すなよ(-_-;)
それと、視聴者が聞き取れない様なしゃべり方をするな!最近というか、ここ半年のお気に入りがある。
金曜の夜中(深夜)にNHKでやっている、英国BBC制作の『宇宙船レッドドワーフ号』だ。
非常にナンセンスなSF?ドラマで、とにかく笑える。
やっぱり英国の笑いのセンスって”毒”がたっぷりで心地良い。
そして山寺宏一が声優として出演しているのだが、とにかくこの男の芸が広い(^^;
シリアスやハードボイルドからお笑いまで、とにかく何でもできる男だなぁ。
Sep.18,1999 (Sat)
ミッションセカンド四日目、今日は午前・午後の交代要員無しで私以外にはしんどい設定だ。
まあ、毎日監督及び実務作業をしている私は、日々彼らの言う”疲れ”がキッチリ溜まっているのである。
私を前にして「疲れた」などという不敬罪に当たる言葉は慎むように。
昼過ぎに、「共同研究をしている農家」という名の「雇い主」から電話がかかる。
我々が作業を始める前にやっておくべき事が、まだ済んでいないと曰う。
「金出すけぇやっといてごせぇ」と砂上の楼閣地域ネイティブの言葉で我々に要求してきた。
ふざけるな!別に金がいい(ミッションセカンドに限る)わけでも無い、楽という言葉からほど遠く好きでもない作業を、教授を通して依頼されたというだけでやっているに過ぎない。
「これ以上仕事を増やすだとぉ! ふざけるな!だったらもうやらん、自分でしやがれ!」と罵詈雑言を浴びせ電話を切・・・・・・れるはずも無く、非常に不機嫌そうな調子で「解りました、は何処に在ります?じゃあ、を迄にしておきますから、は**日までにお願いします」と、言葉の上の礼儀は保ちつつ応対する。
つくづく自分も歳を喰ったと感じた。そんなこんなで、今日は昨日以上に早じまいをする。
帰った後に大学へ。
取り敢えず、昨日の日記を書きアップロード。
おっと、言い忘れていましたが、この日記は基本的に昨日の事を書いています。
書いているのが夜中の場合は、その日の事を書きますけど・・・。
Sep.19,1999 (Sun)
ミッションセカンド五日目、今日は昨日突如増えた仕事を含め、予定量をこなす。
一応今日でミッションコンプリートのめどがたつ。
ああ、長かった・・・ってまだ終わって無いっちゅうに。
作業が進められないので、今日も早じまい。それなり早く戻ったので、HAL9000に連絡して涼しい所へ行く。
涼しいといっても単なる冷房だ。
モスに入り、ひとしきり話をする。
とにかく雑談のネタは尽きない。
ちょっと前から話していた事だが、普段行われる雑談を記事にまとめたらかなり偏るかも知れないが、結構面白いのでは?という事だ。
手始めに、「こんなラップトップマシンが欲しい!」という内容で記事を書いてみる。
なんとも物欲然とした内容だが、色んなタイプのパソコン好きが集まれば、それこそ色んな発想(物欲)が湧くに違いない。
近い内に一部を公開する予定です。
もし、この日記を読まれている方で興味がある方は是非参加してね♪
結果として物欲指数が上がっても責任は負いかねますけど・・・(^^;
Sep.20,1999 (Mon)
ミッションセカンド六日目、今日でコンプリートさせるつもりで作業を開始。
作業は順調に進む、ほぼ終わるか・・・と、そのとき、雨が降り出す。
かなりの降りであったために、即時撤収を命ず。
たかが二十分ほどで終わる面積を残し、仕舞うこととなる。
ああ、決着付けられなかった(-_-;)◇ガサラキ
大学へ行き、メールチェック等をする。
その後飯を喰らい、HAL9000宅にてビデオを観る。
とは言っても、既に何度か観た「スニーカーズ」である。
見終わった後にビデオを返しに行く。
レンタル店で、何となく「ガサラキ」の一巻と二巻を借りる。
オープニングテロップ(クレジット)を見て、「あっ、出淵だ」と思う。
メカデザインに出淵の名を見つけたからである。
出淵が絡んだせいか、ロボットがぐっと俗っぽい。
レビューにも書いたが、出淵のデザインは異様に俗な所があると思っている。
なんというか、やたら現実感を出さないと気が済まないのだろう。
今回は特に兵器然としていて、良い感じだ。さて、ロボット(人型兵器)は常にそのカタチである理由を求められる。
「兵器が人型である必要は無い」それは現実として当たり前である。
地球上で最も複雑な動きが可能な生物は人間である。
つまり、人間を模した機械を制御できたなら、それは非常に高度な動きが可能である。
そういう理由での人型兵器は、ハッキリ言って理由が希薄すぎる。
地上の全てを行動域に出来るだけであって、最適では無いのだ。人型兵器が戦略的な意味を持つことはまず無いのだから、戦術兵器として使用される。
それではどのような用途に使われるのか?それを晩飯前程度に考えてみよう。
まずは、ハードウエアそのものの位置づけだが、いわゆる特殊攻撃車両としいい。
人型兵器はかなり高度な機械化部隊なのだから、相当のサポートが求められる。
つまり、航空戦力と同じく高度な整備・維持施設を必要とする。
で、現実的な線は、航空基地に併設された維持施設に所属し、戦線に必要に応じて投入される事となる。
人型兵器を戦力として維持するには、制空権を持たなければならないのだ。
つまりポイントの制圧、もしくは掃討戦などに使用されるのが現実的であろう。現時点で考えられるのは、この程度である。
加えておくと、人型兵器が飛んだらおしまいである。
あくまで補助装置の一つとして戦線離脱程度ならともかく、戦術能力として持つことはあり得ない。
飛んで戦うなら、固定翼・回転翼に関わらず航空戦力の方が有能だからだ。現在の感覚では、人型兵器の運用の有効性を事細かに推測することは適わない。
未だ想像の産物でしか無いからだ。人型兵器は人間を模しているという特性から、非常に多くの行動パターンが可能であるが、それは兵器としては非常に無駄なのだ。
人型兵器の有効性は、その多足歩行にある。
現在、地上を移動する機構はそれほど多くない。
兵器であればホイール(車輪)かクローラ(いわゆるキャタピラです)、一部の例外としてホバーがある程度である。
そこへ、多足歩行が可能になったとしたら?移動可能領域が劇的に増える事になる。
車両を持ち込めなかった区域にまで、兵装を施した車両が入り込む。
現在では想定できない進軍ルートを辿ることが出来る。
その意味に置いて、多足歩行は非常に有効である。
そう、機動力としての多足歩行の有効性は認められても、なにも人型をしている必要などこれっぽっちも無いのである。
Sep.21,1999 (Tue)
今日は朝から雨が降っている。
天気予報によれば、台風の影響だそうだ。
雨がずっと降っているものだから、今日は作業は無し。ニュースでは台湾の地震を報じている。
相変わらず「〜日本人は・・・」の報道が多いが、いい加減どうにかならないのかね。
向こうの人が数千人死んでいるにも関わらず、真っ先にその内容を流すのはどうかなぁ。
まあ、いまさらマスコミにそういう事を求めてもしゃーないけど。
逆に言えば、政府はもっと在留邦人の事を気に掛けるべきだろ?いつもいつも対応が遅いんだから。
台湾には日本人が一万人から滞在してるんだから、きっと被災してる人がいるはずだ。
マスコミと違って、政府はそれに対して責任を負う立場にあるんだから。
税金を払ってる国民に対して、義理ぐらいは果たして貰いたい。
取って付けたようではありますが、中華人民共和国との関係の進展を見ずに無くなった中華民国の人々のご冥福をお祈りいたします。それにしても・・・世界のパーツ供給地域、台湾が被災したんじゃねー・・・・。
もしかしたら、結構有名なベンダーが被災しているかも知れないから、PC業界にも混乱が波及するかも知れないね。◇柳の下に泥鰌はいない
そうそう、PC業界といえば、SOTEC!e-ONEの生産・流通・販売差し止めの仮処分が決定しちゃったね。
もう、思わず喜んじゃったよ♪あのオヤジ三人(日本Intel・MSKK・SOTEC)が馬鹿面並べた広告の面目丸つぶれって感じで。
判事の言葉がニュースサイトに載ってたけど、パソコンとしてじゃなくて通常の消費財として扱っているのが結構新鮮だった。
AppleとWintel陣営の確執とかをヘタに知ってると、返って論点がずれてしまいそうになるからね。
それにしても、SOTEC『キジも鳴かずば撃たれまい』という結果になってしまったね。
大手ベンダーからしたら、「ベンチャーが火遊びするから火傷するんだ」という状態。
だからこそベンチャーなんだけどね(^^;
SOTECなんて、単なる組み上げ屋でしかないのだから、今回の決定はかなり痛い筈だ。
数万台のバックオーダー抱えたまま、差し止めだもん。
コツコツ積み上げた信用がパーだし、販売も出来ない不良在庫なんてゴミだし・・・どーするんだろうねぇ。
そのうちTVCMも見れ無くなるんだろうなぁ。
元々SOTECは経営者の会社であって技術者の会社じゃない。
技術という資産の無いベンチャーの判断ミスが、今後いったいどのようになるのか非常に関心がある。SOTECさんへ、柳の下にはドジョウはいなかったね。
Sep.22,1999 (Wed)
台風が近づいている。
今年日本に近づいた台風の内では、最も強力なヤツだそうだ。
そうそう、気が付くと日記のファイルが、30kbを越えていたので十五日までを前半としてファイルを作り直す。
さすがにここまででかくなると、ダイヤルアップの人に負担が掛かりすぎる(^^;
まあ、そんなに読まれちゃいないだろうけどね。
それにしても、やたらめったら文字が多い日記だ。
自分でも、こんなに文字数の多い日記を書く人間だとは思っていなかった。
小学生の頃から、日記なんて三日として続いたことが無かったのに・・・これは、ものすごい快挙だと思う。取り敢えず、明日か明後日からか実家のある越前へ旅立ちます。
旅とは言っても、単なる帰省ですけど・・・。
沙漠のミッションに阻まれ、沙漠のミッションセカンドで更に遅らせられた帰省がやっと出来ます。
暫く日記やホームページの更新が止まりますが、実家は基本的に暇なので日記その他を書き溜めて来ようと思います。
楽しみにして下さいね。ガサラキの続き(三巻・四巻)を借りて見る。
いよいよ持って、オカルト色が強くなってくる。
ついでに言えば、右翼まで出してくるとはさすがに予想出来なかった(^^;
「いい加減にさらせ」と言いたくならないことも無いが、やたら暗いアニメを作りたがるものだ。
ここで、素朴な疑問なのだが、”ガサラキ”って放送終わってるの?
終わってるとしたら、何クールで終わったの?
普通は2クールだろうけど、もしそうなら一本に三話形式だから終わりは随分先だと言うことになる。台湾大地震の確認された死者が二千人を超えた。
行方不明者が未だ二千五百人は居るとのことだ。
各国のレスキューチームが今台湾で頑張っており、よく報道されている。
不謹慎な話だが、彼らの身につけている装備が結構勉強になる。
アメリカやヨーロッパ系のチームの装備は、結構メジャーなメーカーのモノなので我々でも入手が可能である。パッと見であるが、ヘルメット・ヘッドライト・バッグパック等のメーカーは直ぐ解った。
何となくプロユースの道具には目がいってしまう。
道具に目が無かった、探検部時代が甦るようだった。震災といえば、阪神大震災からもう五年程経ってしまったんだなぁ。
装備一式と食料と水を持ってボランティアに行ったあの頃が非常に懐かしい。
今回の被災地は海外であるから、さすがに現地へは行けない。
せいぜい義援金を送ることしか出来ないが、やらないよりはましだろう。
Sep.23,1999 (Thu)
台風が近づいている・・・が、外は晴れている。
台風が停滞しているせいだ。何となくテレビを付けておくと、やたら墓参りや彼岸花の映像が出てくる。
不審に思いHAL9000に電話をする・・・「なあ、今日ってもしかして秋分の日か?」
「そうだ」
「じゃあ休みか?今日」
「ああ」とのこと。
ああ、平日・休日の区別無く働いていたものだから、完全に曜日や日にちの感覚が麻痺している。何もしないのも何だから、HAL9000と昼飯を食いに行く。
砂上の楼閣県の中部都市(正確には街だけどな・・・)へ”広島風お好み焼き”を喰いに出る。
砂上の楼閣県において、いわゆる”広島焼き”を喰わせるお好み焼き屋はここしか知らない。
多少離れてはいるものの、付き合っている友人連中に広島出身者が多いせいか、結構喰いに来ていた。◇突発的にマトリックス
喰った後も何となくすることも無く、そのまま帰り始めた。
途中で何気なしに映画の話になり、マトリックスがもう公開になっているという話をすると・・・。「見に行くか?」
「そうだな、俺は全然構わないが」
「砂上の楼閣市じゃ、ろくな映画館じゃない」
「じゃあ、戻るか?」
「もどるかぁ!」既に砂上の楼閣県中部都市からは二十キロは離れている様な地点での事だった(^^;
マトリックスは一時間以上、開始時間を待たなければいけなかったが、どうせ戻ってきたので待ってでも観ることにした。
上映開始、なかなか良い具合だったのだが、ストーリーが進むにつれ結構苦痛になってきた。
内容はサイバーパンクそのもの・・・監督が日本産のアニメ好きだと公言しているらしいから、まあ良しとしよう。
好きなら好きで構わないが、それにもう一工夫できるのが後発の特権では無いのか?
サイバーパンクについて、新しいモノが無かったのが残念である。
しかし、映画としてはよくまとまっており、ワイヤーアクションも良い出来だった。
しかし・・・作り手の言う、カンフーアクションはどうにかならなかったのか?
構えは変だし、殺陣は下手くそだし、まんま”ストII?”ってな内容だった(-_-;)
笑わせる所のつもりなら、それもそれで良いが、日本では失笑を買うだけでは無いのか?
知らない人のために書いて置くが、香港映画のスターは皆、なんらかの拳法を修めている(南拳中心だが、皆複数の拳法修めている)。
素人が見よう見まねで腕を振り回すのとは訳が違うんだ、ハリウッドの人間はそこの所きちんと考えるように。見終わった後に、砂上の楼閣市に戻ってくる。
晩飯は二年ぶりに”カーネル・サンダースの唐揚げ屋”へ行った。
普通にベーシックなセットメニューを頼む。
久しぶりに「グニャグニャチキン」を味わう・・・不味い・・・二度と来ない事にしよう。
それにしても、KFCのフライドチキンってあんなに不味いのかなぁ?
どうやれば鶏肉をあそこまで不味く出来るのか、いっそ不思議な位である。
まだ吉野屋の方がマシだぞぉ。
Sep.24,1999 (Fri)
台風が砂上の楼閣県を直撃せずに、日本海を通り過ぎていった。
台湾の死傷者・行方不明者は合計一万人を越えたらしい。
午前中には結構な暴風雨であったが、夕方になると既に去った後であった。友人に頼み、午前中は買い出しに出る。
うむ、久しぶりに服を買いに出たのはいいが、サイズが無い。
何というか・・・気合いを入れて何かを買うのと違って、適当に普段着る程度の服を買うときに、この少々規格外の体は非常面倒だ。
特に着るモノにポリシーは無い(アウトドアウエア除く)のだが、普段着の選択肢が少なすぎる。久しぶりに金曜ロードショウでやっていた『レイダース』を観る。
ああ、やっぱ良いなぁ・・・などと思っているところへ、HAL9000登場。
飯を喰っていないとの事で、またもやモスへ行く。
いつものように書生論を、場違いな所で展開しつつダラダラと過ごす。
やはり世界情勢を語る上で、書生論は大事であろう。
社会に生産的貢献を何らしていない学生の戯言は、無責任であるが故に本質を突くことがある。
政府やマスコミ、そして社会人の皆様から観た学生は、仕事もせずよく遊んでばかりいるダメな存在である。
そう、だからである。
生産的な事をなんにもしないがために、我々には考える時間がたくさんあるのだ。
本を読む時間だってたくさんある。
何より、会社などの生産組織に依っている訳ではないので、勝手な理想を語れるのだ。
ここを読まれている方は、忘れる無かれ・・・好き勝手な論を展開できる暇があるのは、今や”知識人”などという非常にいかがわしいオヤジ共と、学生くらいしか居ないということを・・・。
Sep.25,1999 (Sat)
○帰省日記
朝起きる、HAL9000に砂上の楼閣駅まで送って貰う。
そう、本日私は帰省するのだ。使用するのは、JRのスーパーホワイトラビットで、”あふさか”にてサンダーバードに乗り継ぎである。
所要時間は四時間超というなかなか退屈な旅路である。
朝、鳥取駅構内のコンビニにて、偶然にも友人に出会う。
話を聞くと、なんと加賀の国で行われる学会に参加するとのこと。
珍しく、友人が同じ旅程を辿ることとなる。
しかし・・・さすがに私は、この特急乗り継ぎを長年繰り返している。
彼らはスーパーホワイトラビットの終着駅である京の都での乗り継ぎの予定らしい・・・ふっ、甘いな・・・特急の自由席乗り継ぎは、始発駅が鉄則さ♪
友人相手に、適当な話を繰り返しているうちに”あふさか”に着く。
取り敢えず私は下車した。「さ〜て、日本橋でも行くかなぁ・・・」などと考えたが、新たなパーツを買ったまま、何もできない実家に滞在するのはなかなかの苦痛なので、今回はとっとと帰ることにする。
程なくして、サンダーバードがホームに進入してきた。
在来線トップクラスのスピード(湖西線区間に限る)を誇る我らがサンダーバードだ。
この車両の難点を挙げるとしたら、大幅な軽量化のため横方向の挙動がやたら速い(揺れの挙動が速いってこと)、これも軽量化の一貫だがシートが軽すぎてしなる、などがある。
やはり今までで、最も良かったシートは、雷鳥の自由席として走っていたとある車両にあったシートである。
幅は、サンダーバードには及ばないものの、重厚な感触と、何よりも背もたれと連動したアンダーシートが決め手である。
この手の機構を持ったシートは、まず普通なら自由席になど配されない。お兄さまへ・・・(笑)
兄貴から電話が掛かる・・・いつの間にか説教に・・・(-_-;)
俺自身にも説教癖はあるが、電話の度に、会う度に、説教するのは止めていただきたい。
自分のやっている事については、十分理解しているつもりだ。
それにアカウンタビリティ(説明する義務)を疎かにしている事も十分解っている。
だが、解っていてやっている事なんだ。
だから、いちいち説教された所で何も言い返すことなどできない。
そんなことだから、ストレスが溜まってしまう。
だから、こんな絶対に読んでいない所で文句を言うよりほかが無いのだ。
Sep.26,1999 (Sun)
○帰省日記
九時前頃に母親に起こされる。
うむ、実家の良さはやはりこの辺りにある。
朝、きちんと起こしてくれるし、飯は作ってくれる、風呂は沸いているし、洗濯物は置いておけば洗濯され乾かされて戻ってくる。
親父が肝臓壊して以来、誰も酒を飲む者がいないため、ストックされたビールは飲み放題である。
寝床のシーツは清潔だし、寝る部屋にはエアコンが配備されている。
そう、エアコンだ。
俺が家を出た後に実戦配備された”霧○ヶ峰”である。
うだるような暑さの中で行われた受験勉強など過去の話である。
確かに、家の部屋では全く受験勉強をやらなかった私ではあるが、配備時期があまりに不適当というモノではないか?
物事を正確に記せば、この過去私の部屋だった場所は、もはや私の部屋ではない。
エアコンを常備した、”客間”に変えられているのだ。
私は過去、大学進学で家を出た姉の部屋を奪った前科があるが、やはりエアコンまで装備されては・・・。
因果応報というヤツかも知れないが、なにか寂しさを感じずにはいられないものだ。帰省の理由を書いていなかったな。
帰省の理由は、単純に表現するなら引っ越しだ。
母の実家が、既に対応年数を超えているため、いよいよもって崩壊を開始していたのだ。
家の中には、爺さんの遺品となった日用品その他と、越前大震災(終戦直後)を生き残った僅かな文化的遺物があるのだ。
それらを収納用に改造した小屋(と書いたが全然小さくない、小さい分譲住宅サイズだ)に移さなければならない。
既にリタイヤしている両親だけではどうにもならないので、私が砂上の楼閣県から戻ってきたというわけだ。
そんな訳で、今日はその作業第一日目だったのだ。
Sep.27,1999 (Mon)
○帰省日記
今日の起床時間は八時、今日も作業をしなければならない。
朝飯を喰らい、チャリンコで母方の実家へ向かった。
今日は、箪笥を中心に攻める予定だ。
さて、最近は「箪笥」を「タンス」と記す事が多い。
何故だろう?やはり、西洋風になってきたせいかもしれない。
元々日本の箪笥というものは、江戸中期頃までは殆どが「長持」であった。
長持をご存じ無い読者は居るであろうか?まんま長方形の箱で、上蓋が付いているやつだ。
そして、引き出し式の箪笥が登場してきたのは江戸中期以降だという話だ。この家に現存している箪笥は、殆どが総桐箪笥である。
さすがに箪笥だけに、かさばるサイズではあるのだが、総桐だけに引き出しを出してしまえば軽い軽い。
車箪笥の様な重量級は、震災の際に持ち出せ無かったらしく残っていない(父方には残っている)。
箪笥をごそごそ調べていると、突然前置きもなく皿が出てきた。
九谷だが、なかなかの値打ちものとの事だ(私的には、九谷はあまり好きでは無い)。
それにしても・・・何も箪笥に入れておくこともあるまい(-_-;)箪笥の中身を確認していると、出てくる出てくる昔のモノが!簪や古い扇子、変わり種では写真のネガが出てきた。
さて、最近のフィルムのネガを想像して貰っては困る。
いわゆる昔の硝子のネガなのだ。
昔・・・とは言っても、現在でもやっている人は居るはずだが、昔の写真は硝子に感光薬品を塗布して写していたのだ。
当然モノクロだが、大判で撮影すればかなりの解像度を得られる。
実際、昔(とは言っても、昭和初期だが(^^;)の写真も出てきたが、モノクロだが結構な解像度だった。
そして・・・更に変わり種では、旧帝国陸軍服風の衣服である”国民服”の帽子の『☆』が出てきた。
私の母方の祖父は、出征していない。
体が虚弱だったために、徴兵を逃れたのだった。
今でこそ「戦争へ行かなくてよかったね」などと言えるが、当時は肩身が狭かっただろう事は想像に難くない。
◇爺さんの戦争体験ついでに父方の祖父についても書くが、こちらの祖父は召集され出征した。
歩兵として中国戦線に投入され、生きて帰ってきた人だ。
祖父は大陸へ一度は満州へ教職で渡り、二度目は兵隊として渡ったのだった。
戦争のことはあまり話さない人だったが、酒に酔ったときに一度だけ話した戦争の話を覚えている。
それはこんな話だった・・・祖父は、兵隊として移動中か、もしくは拠点に居たのか、条件は定かではないが、テントを張り駐屯もしくは野営を行っていたときの事である。
その日は、夜になっても暑さが続いており、寝床として定められたテントは他の兵士の発する熱で非常に寝苦しかった。
ふと夜中小便に出、夜風が当たる場所を見つけた。
それは物資を集積したテントで、他に人間は居らず丁度良いのでそこで寝ることにした。
物資テントの風のはいる端っこで、快適に眠りにつくことが出来た。
次の日の朝起きて周りを見ると、仲間は誰もいなくなっていた。
そこには戦闘の跡があり、日が昇る頃に散り散りに逃げたらしい仲間達が戻ってきた。
どうも、祖父が物資テントで寝ている間に夜襲があり、仲間は朝まで散り散りに逃げていたということだった。
因みに、この戦闘で部隊は崩壊したらしい。
人の運というものは、予測が出来ないから運というのであろう。
Sep.28,1999 (Tue)
○帰省日記
今日も八時起きで飯を喰らい、作業へと向かった。
実家のコミックライブラリ(大学入学以前に買い集めた漫画達)から、久しぶりに『MASTER KEATON』を取り出して読む。あ〜、やっぱ良いわ・・・こんなにいい漫画が他にあるかなぁ・・・。
特にジャンル分けして考えている訳ではないが、やはり現代を舞台にしたドラマではこれが一番である。
原作として名を連ねている”勝鹿北星”は、先輩から聞いた話だと個人ではなく各部門のスペシャリストとの事だ。
それで、元軍人の参加者の名前を聞いたのだが、結構前の話なので忘れてしまった。この作品で、主人公のKEATONは、多くの場合脇役的に存在している。
物語の主人公と何らかの形で関わって来るのだが、その扱いが非常に巧いのだ。
これは、画担当の浦沢直樹の腕か原作者の知恵か良くは判らないが、この作品の上質さを感じさせる部分でもある。
現在、浦沢直樹は原作者を持たずに、サスペンス一辺倒な作品を書いている。ビ
ッグコミックオリジナルの『MONSTER』だ。
結構人気があるようだが、先に書いたようにサスペンス一辺倒なため、テンションを維持するのに苦労している風にも見れる。
だが、そこはそれ『MASTER KEATON』で培った資源が生きており、時折混ぜてくる主人公の脇役的登場話が巧く働いている。
KEATONの資源の上に成り立っているのは否めないが、原作者を持たずにあの内容を書き続けるのは凄いかも知れない。
Sep.29,1999 (Wed)
○帰省日記
今日も同じく八時起きで、九時過ぎ頃から作業を開始。
面倒なので、作業関係の事はもう書かない事にする。
祖父の本棚で見つけた本があった、『梅安料理ごよみ』である。
内容は、池波正太郎のインタビューがあり、江戸の風俗や最近の日本人について語られている。
本編は当然あの”仕掛人・藤枝梅安”シリーズ中に出てくる料理に関するモノだ。
料理の記述は池波自身がやっているわけではない。
梅安シリーズのファンであろう他の執筆者によるものだ。
感想を一口に言えば、「腹の減る本」である。
作中にチラッと出てくる料理を、事細かに説明してくれるものだから、もういつもより想像が膨らむ膨らむ。
夜遅くにこの本を読むのはよしたほうがいい。
さて、時代小説を読んだことが無い方には、いきなり池波正太郎を出してもピンとこないかも知れない。
だが、相当な有名人だけに殆どの人は名前は聞いたことがあるだろう?
いわゆる『仕掛人・藤枝梅安』や『鬼平犯科帳』や『剣客商売』等の作者。
江戸の風俗に非常に詳しく、時代小説の大家である。
私が時代物の小説を読む際、江戸時代の風俗に関する考証は池波正太郎が基準である。
それくらい信用がおける作家だと思う。
惜しむべきは、彼は既にこの世を去っているということだ。
「『剣客商売』終わらせてから死ねよ」彼に通じるなら私はそういいたい。
Sep.30,1999 (Thu)
○帰省日記
今日はとうとう砂上の楼閣県に戻る日である。
しかしただ単に戻りはしない。
当然いつものように、大阪経由で日本橋なんぞをブラブラ歩いて行くつもりであった。日本橋にて・・・取り敢えずいつもの通り色々ショップを回る。
今回の目的は、HAL9000に頼まれているK6-3/400の購入、同じくRTLチップを使用したNIC/PCIの購入、自分用のB-right/V(TRON規格のOS)の購入、友人のNEC98用のODPの購入、であった。
取り敢えず複数の店を回って、プロセッサの価格帯を確かめる。
K6-3は400の方がよく売れているらしく、450しか置いていない店が多かった。
それに、いつも寄っている、標準価格より千円安く売る店である”ソフトアイランド” が棚卸しで閉まっていた。
同じく、大手のショップであるTWOTOPも棚卸しであった。
結局標準価格がよく判らないので、小さな店を回り、多分標準的な値段だった店で\12480(エンブレム付き)で購入。
NICの方は、RTLチップという指定のために、一々中身のチップを除きながら品定め。
結局、閑古鳥の鳴いているエレベーターでしか行けない様なマイナーな店で\1880で購入した。
実は今回、IBM/PalmTopPCがあったら買ってしまおうと、密かに考えていたのた。
あるにはあったが、PCMCIAのHDDが付属しておらず躊躇いつつも諦めることにした。
そこで次に見つけてしまったのが、IBM/ThinkPad701csであった。
そう!あのバタフライキーボードを採用した驚異のマシンである。
「欲しい!」と物欲全開になりかけたが、『s』が私に歯止めをかけた。
そう、見つけたモデルは液晶がDSTNである『cs』なのだ。
私が常々欲しいと思っていたのは、”701c”なのだ。
此方はTFT液晶を装備し、プロセッサも486DX/100MHzなのだ。
なんせWin95プリインストールモデルがあったくらいのマシンなのだ。
さんざんぱら悩んだ挙げ句、結局買わない事にした。