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過去の日記



[行間を読め!]

Nov.3,2002 (Sun)

世界は密室でできている

『世界は密室でできている』
著者:舞城王太郎
 
 え〜性懲りも無く、軽く読めそうなミステリ本をチョイス。
講談社の恒例『密室本』です。
でも、これまで読んだ本って、ただ密室が出てきてるだけじゃん。
これまで読んだのが、森博嗣と西尾維新と舞城王太郎なので、傾向云々という事ではない。
しか〜し、森博嗣除いたら、後の2人は文体も内容もアレなので、しょうがない。
別に森が特別秀でてるって訳では無く、単に文体と対象年齢の差だとは思う。
 
 え〜、ノリは至って富士見ファンタジアとか角川スニーカー系です。
はい、詰まるところがライトノベルとかいうジャンルに入れられる系統です。
作品に関しては、ミステリとかトリックとかが売りじゃ無い。
なんと言うか、やっぱりこの作者の本という事で買う人が多そうだ。
 
 まぁ、それはそれでおいといて。
 
 感じた限りじゃ、西尾維新とそう変わらない。
が、問題がひとつ。
この作品の舞台の殆どが、俺の地元なんだよなぁ・・・。
ここまでこの地方の方言丸出しで、若いもんの会話書かれると、それだけでツボる。
逆に言うとね、この作品に出てくる方言って俺が高校生くらいの時に散々使った言葉なの。
でも、今はしゃべれないだよなぁ・・・。
問題だよなぁ。
まぁ、学生を他県で長くやってたという事もある。
日常的会話が通じないからこそ方言な訳で、大学入って3日で使うの止めた。
で、今地元に戻って働いてるんだけど、会社で方言使う人が少ない。
地元の仕事を殆どやってないというのと、殆どの人間が出戻りだからだ。
方言って、一度忘れると話せないもんだねぇ。
 
 という訳で、やたらと希少な条件にてヒットした作品だ。

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Nov.4,2002 (Mon)

www.irukaya.net 始動!

 という訳だかなんだから知らないが、www.irukaya.netが始動しました。
まだ登録済んだだけで、具体的なサイトの構築は遥か先かも知れません。
それもこれも、某社に捕られていたwww.irukaya.comが解放されていたのは確認していたものの、
面倒くさがって登録せずにいたら、更に他者に捕られてしまった。
まぁ、のらりくらりと登録の前調べだけはしておいたから、この際取得してしまいました。
保管期間は2年間あるので、何処ぞに訴えられない限り2年間は私のものです。

 さて、Coolからもまともに移行が済んで無いつうのに、管理者は何を考えているのだろうか?

 手始めって訳でも無いですが、レビュー集と560X関連コンテンツを年内に移行させます。
いい機会だから、かつてのコラムやアレな文書は現時点をもって封印。
問題は、書き溜まってる駄文をどう公開してゆくかという点。
ハッキリ言って「誰が編集すんの?」と自問したくなる。

初雪

 雪が降りました。
雷鳴と共に一二時間だけ積もって消えました。
っておい、まだ11月始まったばっかりだぞ!
今からそれは無いだろうに・・・。

 雪国の年中行事というか、ドライバーの義務というか、そういうわけでタイヤ交換。
ツナギ着て、皮手袋して、そそくさとやってしまいました。
あ、着替えるのが大仰だと思った人、手を挙げなさい。
作業着を着た方が早いし、安全だぞ。
好きな体勢で作業できるし。
普段着の上に着れるツナギくらいは用意しておいた方がいい。
何かと便利。


Nov.5,2002 (Tue)

煙か土か食い物 Smoke,Soil or Sacrifices

『煙か土か食い物 Smoke,Soil or Sacrifices』
著者:舞城王太郎
 
 密室本を読んだ繋がりで、作品を読んでみる気になった。
で、この作品だが、メフィスト賞を取っている。
そもそも「メフィスト賞」なる賞は、講談社のメフィストという雑誌がやっている作家開拓な雑誌賞である。
栄えある?第1回の受賞者は、あの森博嗣の「すべてがFになる」である。
まぁ、一応ミステリという事にはなっているが、実情はエンターテイメントであれば何でもOKという無節操間口の広い賞だ。
そもそも講談社ノベルス自体結構最近の新書シリーズではあるのだが・・・。
まぁいい。
 
 で、「煙か土か食い物」なのだが、私はどう判断したかと言うと。
最強で最高?という具合か。
舞城王太郎の作品で最初に読んだのが「世界は密室でできている。」だったので、西尾維新と同列に扱った。
が、コイツが好きな様に書いた結果が「煙か土か食い物」だとすると、やっぱり最強かも知れない。
まぁ、前回書いた様に相も変わらずベタベタな福井が舞台ではある。
宣伝にも使われているが、とにかく疾走するかの様な文体が凄い。
かなり暴力的な表現を多用というか、そればっかだが、押し切る強さがある。
物語の構造、構成、速度、俗な言い方だが一級品だ。
テキストでここまで疾走感を出せる作家って少ないと思う。
結構ショック。
 
 内容が暴力的というか、暴力表現が多いかも知れないが、それに対応する家族愛も結構強烈に書いている。
そういう意味で、純粋というか、誠実というか、そういう要素をキチンと内包していう。
なんか先が怖い作家だ。
 
 あ、それとね。
「前回のこき下ろしからは掌返した様な評価はなんだ?」とかって突っ込みは却下。

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Nov.6,2002 (Wed)

暗闇の中で子供 The Childish Darkness

『暗闇の中で子供 The Childish Darkness』
著者:舞城王太郎
 
 前作、「煙か土か食い物」の続編です。
主人公は前回は四郎だったけど、今回は三郎です。
相変わらずの疾走感&カタルシスで期待を裏切らない内容。
が、ちと痛いねぇ。
この文量でアレを怒濤の如く展開されっと、やっぱり痛い。
 
 結局テーマは「愛」なんだろうけど、やっぱ痛い。
こういう表現しかできない舞城王太郎は、更に痛みながら文を綴ってんのか?
なんか蟷螂の斧(*1)の様な痛々しさを感じるのはオレだけか?
 
 前作でも気になってたんだけど、文量としてはそれほど多い訳じゃ無い。
段組せずに比較的大きめの書体と、行間の余裕もある。
だから持ってると疲れるんだよ、この紙の量は!
装丁にも金かかってるし、それなりの優遇ってのかな?わかるよ。
でもさぁ、京極並の文量でも無いんだから、段組して薄くしてくれよぉ・・・。

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*1: 自分の微弱な力量をかえりみずに強敵に反抗すること、はかない抵抗のたとえ

Nov.9,2002 (Sat)

GTX5266Mを里子へ出した

 要員計画から外れ、戦力外通告を出さざるを得なかったGTX5266Mは、無事に電脳師 の所に付いた様だ。

 色々と紆余曲折の末の導入であったが、面白い器械であった。
巨大なバッテリーセルや、1MBのL2キャッシュ。
縁の細いスマートなディスプレイ周りのデザイン処理や、キーボード品質の高さ。
使われてるチップがマイナーで多少手間取る事があるが、多分最強のMMX_Pentium搭載ノートだった。

私の今後の軍備再編計画において、適当なポストが無かった為に何処かへの譲渡を検討した。
ハッキリ言ってビギナーお断りな器械なので、手近なヤツに渡しても埃を被るだけだ。
そういう訳で、江戸川中央データセンタに白羽の矢が立ったのだ。
あそこで引き取ってくれるならば間違いは無い。
そいで、管理者にお伺いを立てた上で、里子に出したのだ。

残念だが、560X程の苦楽を共にする事は無かったが、彼の地において役立ってくれい。


Nov.10,2002 (Sun)


 某所では、運用テストが行われているが、動員外なので携帯電波の届く所に居れば良い。
しかし、立ち会って無いと結構不安なものだねぇ。

ThinkPad_T23(2647-9JJ)導入っ!

 え〜、軍備再編の一環というかメイン行事というか、とにかくメイン機に力のあるのを据えました。
とは言っても、現在ようやくOSのセットアップと、一部の開発環境を入れただけです。
新品の型落ちモデルの導入って、560X以来だから多少感慨深いモノがあるねぇ。
今回の場合、条件が仮想マシンをストレス無く動かす環境と液晶解像度という2点での採用を決めた。
つまり、GHzクラスのCPU&大量のメモリを搭載可能である事と、XGAを越す解像度を出せる事という条件だ。
もちろん価格だって重要なポイントではあるが、それは最後の決断の問題だ。
最初から値段を考えすぎると、時間が経った後に納得できているかどうか怪しいからな。

 今回導入したT23の2647-9JJというモデルは、T23の最上位機種のひとつである。
とは言っても、HDDの容量と液晶解像度くらいしか、他の機種との違いは無い。
ただ、HDDは幾らでも積み替えれるが、液晶はそういう訳にはいかない。
ラップトップPCのコストの半分近くを占める液晶は、壊しても高いし、そう簡単に交換できる部品じゃ無い。
しかしでかい・・・1400*1050という解像度なのだが、ここまで広いのは始めてだ。
昔研究室で使ったCAD用19inchのCRTの時ですら、ここまで広い画面にはしなかった。

 早速だが、休日なのでRAMを買いに出た。
某越前ローカルだが、県内ではY○MADAやコ○マより勢力を誇る100○Vとかいう電器屋へ行った。
バッテリー用のソフトケースやら、追加のCDケースなどの細々としたものを買うついでにRAMを物色。
つうか、ここI/Oとメルコしか置いてないんだよなぁ・・・。
取りあえず、世間の最安値の2倍近いがメーカ製の512MBメモリの商品カードを取ってレジへ。
レジで商品カードを渡すと、
「ただいま商品を御用意致しますので・・・」
 と店員が在庫棚へ消えて行く。暫く探し回っていたのだが、手ぶらで戻って来た。
「済みませんが、丁度在庫が切れておりまして、お取り寄せになってしまうのですが・・・」
 在庫切れ?
「じゃ、なんでそのカード置いてあったの?」
「商品の入荷が可能な製品につきましては、在庫が無くても置かせて頂いておりまして・・・」
「へぇ、【お持ち帰り商品引換券】っていうのは在庫が無くても【お持ち帰り】なわけ?
 だったらカタログだけ置いておけばイイじゃない、なんで引換券なんか置いておくの?」
「・・・・・・」
「もういいですから、残りの会計済まして」
「はい」
 別に一介の店員を責める気は無いのだが、【お持ち帰り商品引き替え券】の意味が無いと思うのだが?
どういう商品管理してんだ?多少仏頂面になりその店舗を去った。

 越前の市街では、品揃えの良い店って少ないからなぁ・・・。
更に数キロ走って、Mac絡みの買い物をする店に行ってみた。
早速メモリコーナへ行くと、おお、グリーンハウスの安メモリ置いてるじゃねーか!
512MBが\17,800、いわゆる安値戦線のメモリである。
早速機種対応表を捲って確認すると・・・載ってねぇ・・・つうか現行機種しか載せてねぇ。
使えねぇなぁ・・・と思っていると店員が声をかけて来た、
「メモリをお探しですか?」
「ああ、いやこのグリーンハウスの512MBなんですがね、対応表に現行機種しか載ってなくて・・・」
「ええっと、お客様のパソコン、CPUは何ですか?」
「ペン3」
「メーカーは?」
「IBM」
「機種は・・・」
「ThinkPad_T23の2647-9JJですよ」
「えっとですね、ノートPCですとハーフハイトって半分のサイズので無ければ・・・」
「2インチハイトで入ります、133MHzのSDRAMだったら動くハズですが、対応表に載って無いと言っているんです」
「であれば、多分大丈夫ですが・・・」
 と、消える様に言ってそそくさと去った。
ここは自作DOS/V系の販売もしていて、物知りな店員が居たのだが、どうもその人ひとりっぽいな。
それに、「対応表にないものは保証しかねます」とか「自己責任で」とかも言わないのかなぁ。

まぁいいや、取りあえず買って帰るか。
というわけで、512MBを2枚買った。これで1GB搭載だ!
認識しなけりゃ、PowerBookG3(Pismo)に載っけりゃいいや。

自宅へ戻り、手を洗うついでに蛇口で放電して載せ替え作業。
T23のメモリスロットにアクセスして、2枚を納める。
T23起動・・・・・あっさり認識。
まぁ、そんなもんだよな。
SDRAM以降、ボルテージとかもほぼ一緒だから、メモリの問題もあんまし無いし。
128MBから1GBにしたら、起動が多少早くなってた。
128MBじゃスワップ起こしてるって事か、やはりWinXPってヒープ高いのね。

 次はWin2kにOSを入れ替える。
Win2kのCDより起動し、WinXPのDtoD領域をサクッと削除。
さぁ、コレで出荷状態へ戻す事ができなくなったぞ。
つうか、WinXPなんてまだ使わないけどね。
一応、後日IBMへFAXしてメディアは手にいれておこう、有償だけど。
Win2kのインストールを準最新のマシンでしたのは始めてだが、結構サクサクやって終わる。
今までインストールした環境だと、やたらと時間がかかっていたが、どういう事なのだろうか?
それほど古い機械使ってたっけなぁ。

OSのインストールにはさほど時間を取られ無かったが、各種ドライバの導入に手間取る。
なんせ、今までは機能を省いたサブノートだったから、本体の機能なんて限られていた。
しかし、今回導入したT23はフルスペックノートだ。
CD-RWとDVDのコンボドライブやら、無線LANやらと一通りの機能がある。
それでも、余計な機能やソフトは入って無いから、他のメーカ製品よりは楽だ。

各種機器を認識させた後に、いつものソフトをインストール。
基幹ソフト・・・要はビジネスソフト&MSの開発環境をインストール。
後は、Atokを始めとしたNT以来使ってるソフトをインストール。
大体恰好がついたところでハタと気づいた・・・クロスケーブル持って帰ってない。
じゃHUB使って・・・ってHUBも今無いし、メディア使ってチマチマやるのは面倒だ。
という訳で、現在のメインマシンからのデータ移行は次の機会にという事になった。
つうか自宅部屋の基幹機器を片っ端から整理しちまった事の弊害だな。
オンボロ10BaseHUBでも無いよりはマシって事だ。
ああ、現場投入はまだ先だ。


Nov.11,2002 (Mon)

突入せよ!「あさま山荘事件」

『突入せよ!「あさま山荘事件」』
監督:原田眞人
配給:東映
 
 という訳でも無いが、下に書いた原作の映画である。
当時の事件を、かなり忠実に再現している・・・らしい。
なんせ、私が生まれる前の話で、直接中継を見れようがあるまい。
 
 映像的には、かなりイイと思う。
主演の役所公司も丁度な感じだし、何より後藤田に藤田まことってのが気に入った。
「うん、確かに丁度いいわ」とひとしきり納得。
警視庁警備部付石川三郎警視正=山路和弘も、配役としてはなかなか良いと思う。
因みに石川三郎警視正は、東大全共闘当時には第一機動隊の隊長をやってた猛者である。
作中に多少説明的に出て来るが、「あさま山荘」に集った幕僚団は、当時の警察の最精鋭だったのだ。
映画では出て来ないのだが、後に当時公安一課の亀井警視が幕僚団に加わる。
ご存じの方も居るだろうが、あの亀井静香だ。
 
 作品は映画という尺や演出の問題もあり、「あさま山荘」に至る経緯は省いている。
もっとも、あの時代を知っている人がマーケティングのトップに立つのだから、当然と言えば当然。
この作品を気に、日本の学生運動〜武力闘争〜赤軍派:テロリズムへの変革を知る人も多いかも知れない。
私はと言えば、80年代始めの韓国の学生運動のニュース映像(デモ隊が火炎瓶投げる映像)を見て、
「酷いなぁ、学生運動って戦争か?」
 と言った所、近くに居た母親に、
「日本も、ホンの少し前まで同じ事やってたよ」
 という返事が返って来たのが、最初のきっかけである。
まぁ、それほど熱心だった訳じゃ無いが・・・心に残っているのは、日大闘争の有名な詩だ。
文面は以下の通り、
 
 
    生きてる 生きてる 生きている
    バリケードという腹の中で 生きている
    毎日自主講座という栄養をとり“友と語る”という清涼飲料剤を飲み
    毎日精力的に生きている
    
    生きてる 生きてる 生きている
    つい昨日まで 悪魔に支配され 栄養を奪われていたが
    今日飲んだ“解放”というアンプルで 今はもう完全に生き変わった
    そして今 バリケードの腹の中で 生きている
    
    生きてる 生きてる 生きている
    今や青春の中に生きている
 
 
 10年以上経ってから知った、象徴的な詩だ。
だが、暇人哲学適齢期を90年代に送る私には、物悲しい挫折の詩としか感じる事ができなかった。
しかしある意味良かった。
私があの時代に生きていたら、喜々として参加してたんだろうなぁ、と本気で思った。
不謹慎極まりないが、非常に面白そうだったんだからしょうがない。
そんな私が選んだのは、平和で安全で豊かな時代に、自然相手の危険なスポーツだった。
人間ってのは、刺激が無ければ腐る代物だからなぁ。

 まぁ、私が多少昔の事とか色々と好きなのは、コレに始まった事では無い。
安定期に育った人間だからこそ、そういう指向も生まれようというものだ。
もしかしなくても、今後の時代を生きる上できっと繰り返される事だしね。
「逆境ナイン」では無いが、平穏な時代だからこそ自分の限界ってモノを見たいと思うのは、ごく自然な事だと思っている。
そんな理由で今思うとバカな事をやったと思う。
そのバカな事で解った傾向が、私はやたらと用意周到だという事。
考えられる事態に対し、必要十分を越える対策を施す・・・そう、悪のりと言っていいほどに。
ただし条件がある。
命の危険があるときに限って、ということ。
それ以外は素晴らしくぐうたら。
私の私的領域の管理能力・・・いや管理意志の無さは知る人も多いだろう。
しかし、このレジャー的危機管理には大きな穴がある。
他者に強要される危機的状況に対処した事は一度も無いのだ。

連合赤軍「あさま山荘」事件

『連合赤軍「あさま山荘」事件』
著者:佐々淳行
 
 いわゆる有名人なので、説明せんでもわかるだろう。
「crisis management」に「危機管理」って日本語を当てた当人。
どっちかってぇと、後藤田正晴とセットで覚えてる人も居るだろう。
このときは警視正と警察庁長官だが、後年には、内閣安全保障室室長と内閣官房長官という関係になる。
旧内務省系のカミソリ後藤田と、戦後の警察キャリア2期生(公式には3期生)の佐々、上司部下の関係は未だに続いているそうな。
まぁ、この人たちの業績に関しては賛否というか立場によって様様な評価がある。
後藤田は内務省復活にかける、旧体制派の冷徹な官僚だと評。
佐々は、警察庁−防衛庁−内閣安全保障室、と渡り歩いた官僚の服を着た戦争屋。
この評はそれなりに正しいし、礼節を欠かない範囲で言う限り、当人達も声高に否定しないだろう。
だが同時に、後藤田は自衛隊の海外派遣にはしつこく反対する男であり、
災害時等に佐々以上の危機管理能力を有した人材が居なかったのもまた事実である。
 
 まぁ、それはそれでおいといて。
 
 戦後日本の区切りのひとつである「あさま山荘」事件の実録である。
一部ではバラし過ぎとまで言われる、現場指揮官の記録である。
多少の脚色はあるが、少なくとも佐々敦行の文章能力は凡ではない。
当時の記録・記憶・実筆メモと、あらゆる資料を動員して書かれたであろうこの本は、記録という意味が非常に大きい。
 
 もちろん、左翼活動家の言う通り、これは体制側の記録である。
連合赤軍「あさま山荘」前夜を描く「光の雨」もまた同様である。
それは何故か?と言っても始まらない。
なんせ、連合赤軍の主要なメンバ、いや主要だったメンバは書きたくても書けない。
それは収監されていたり、死亡していたり、テロリストであったり。
最も凝縮されたエッセンスを提供できる立場のものは、社会的に抹殺されているからだ。
今なお発言し続けていられるのは、塩見孝也くらいか。
彼らは言う「連合赤軍問題の人民による総括が無い」と。
心情的には多少は共感しよう、ただ米国の連続テロと同じく、テロに走った人間のゴタクに聞く耳を持つ市民なんてまず居ない。
あの事態を招いた米国政府には責任があろう。
ただし、市民とは日常生活を送る上で、オフィスビルが倒壊するだの、火焔瓶が飛んで来るなんて状況は願い下げなのだ。
俺はアンタに殺されたく無いから、俺はアンタを殺さない。
これが人法の根本原理である以上、ささやかながらも安定を享受した人間の心は動き難い。
インテリの理想に燃えたカクメイ運動が成功する素地は、70年代当時の日本には無かったのだ。
 
 確かに体制側の記録で、筆者はタカ派が服着た佐々敦行だ。
しかし、あの状況下で一人も殺さなかった当時の警察を最も評価する事にはなんら関係ない。

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Nov.23,2002 (Sat)

その名は?!

 えっと、知っている人しか知っていないが、私はヒンドゥーの神の名をPCのネットワーク名に当てていた。
メインマシンは長い間Garudaで統一しており、その他のマシンにはヒンドゥーの神の序列に合わせて・・・というかなりマニアックな命名の仕方だった。
ということで、私のプライベートネットワークのマシン名は、そっちのネタを知っている人間で無いと、関係が解らないというアレなモノだった。

 しかし!最近はグッと一般化して、i1124以降は山の名前を付けることにしたのだ。
で、T23にはSagarmatha(サガルマータ)と名付ける。
さて、結局コレも知らない人は全く知らないので、蘊蓄話へと移行しようか。

 ヒマラヤという神々の山嶺の名は、実はヨーロッパ名である事が多い。
まぁ、彼らの地理体系化への情熱は認めるが、余所の山をてんで勝手に呼ぶのはあまり良い事では無い。
ではエベレスト(英名:Everest)は何?と聞かれた時、あなたは何と答えるであろうか?
これは某国営放送プロジェクトのおかげで有名になった名があるから、直ぐに分かるだろう。
はい「チョモランマ(Chomolungma)」です。

だが!コレは中国名と言われているが、正確に言えばチベット名です。
(個人的にというか道義的にもチベットを中国というには憚られる所じゃないからね)

 では、件のサガルマータ(Sagarmatha)とは?
これは、エベレストと呼称されている山のネパール名である。
因みにだ、有名な山ならば現地名もアルファベットが当てられているが、実はこの手の情報ってのは多くは無い。
誰か、正式なリストとかをネットに上げてくれると助かるのだがね・・・。


Nov.24,2002 (Sun)

Mikoyan,Anastas Ivanovich

 え〜、いあの所でニキータじいさんの話が出たので、ミコヤンの話をするとするか。
こっちの爺さんも既に鬼籍だが、抱えて死んだものに関してはニキータじいさんに匹敵するとも言える。
ニキータじいさんがスターリンを追い落とす時に協力したのがこのミコヤンじいさん。
しかし、ニキータじいさんの付属物では決してない。
元々ミコヤン自身、スターリンに見いだされ、その片腕として辣腕を振るった男だ。
で、この男の凄い所は、スターリンに仕え、フルシチョフに仕え、プレジネフに仕えたという事実。
あの冷戦真っ盛りのソビエト連邦にあって、常にナンバー2のポストに居続けた男。
確かに歴史的立場云々ではフルシチョフには敵わないが、その生存能力には脱帽する所だ。
ずっとナンバー2というのは言い過ぎだが、フルシチョフと共にスターリン批判を行い、
フルシチョフ失脚の後にも彼はプレジネフの元でも政治生命を生き長らえさせた。
あのプレジネフの元でだせ?
まぁ、スターリンもトロツキーもプレジネフも、今表現すれば「アレな人」だからなぁ。
あの時代にあって、フルシチョフの存在は異色としか言いようが無いのは確かだ。

 一般的にキューバ危機その後の評価というのは、ケネディに集約される。
だが、はたしてこの事件に勝者が居たかは甚だ疑問である。
よく言われる事だが、キューバ危機の対処によりケネディは、軍産複合体と反共産の敵をたっぷりと抱えた。
そしてその結果がダラスでのオープンカーパレードの暗殺に繋がった・・・という仮説といか妄想。
一方現実としては、アメリカとのチキンレースに負けたフルシチョフが失脚。
プレジネフが取って代わり、ソ連はまたチキチキ共産レースへ復帰。

 怖いねぇ・・・

 歴史にIFは無い。
至極当たり前な事なのだが、後世に生きる我々はどうもこの手の思考から離れられない。
クエートへの侵攻が失敗に終わったイラクが、近代国家への道を阻まれた様に、
フルシチョフという比較的・・・というかかなり真っ当な指導者が降りたソ連のその後ってのは見ての通り。
冷戦という、陰気なウオーゲームがその価値の全てだった時代に彼は生き残る事が出来なかった。
そして、結果としてソ連はゴルバチョフを待たねばならなかった。
人脈の流れとしては、フルシチョフ => アンドロポス => ゴルバチョフ、となるなか。
ただし、アンドロポフに関してはチェルネンコ同様、モラトリアムの徒であるという評価も多い。
だが、彼が若き改革者であるゴルバチョフを登用しなければ、今はありえ無かった。
ただし・・・遅すぎたがね。


Nov.25,2002 (Mon)

 え〜色々と発送する約束をしていた皆様、申し訳ありません。
忙しかったのです。そう、心を忘れる程にしかったのです。
まぁ、言い訳以外の何者でもないのですがね。

という訳で、スマヌ。
次の休日・・・というか週末には終わらせます。
待ってて下さい。


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