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過去の日記



[行間を読め!]

Oct.1,2000 (Sun)

 寝てた・・・

 起きた・・・

 取りあえず、コミュニケーター(携帯電話)で時間を確認・・・昼なんて過ぎていた。

 さて、どうしてくれよう。
 いや、考えるまでもない・・・・また寝た。


Oct.2,2000 (Mon)

 最近車ネタが増えたなぁ・・・いや、別にコレといった思惑とかがあるわけじゃない。


Oct.3,2000 (Tue)

 今日も今日とて、実験室で試作機の採寸作業〜♪

 あ〜あ、いったい何時になったら終わるのやら・・・

 別に手抜きじゃ無いよ・・・

 手抜きじゃ無いってば・・・
Code:
 ・・・・・・
 ・・・・
 ・・
 ・

 済みません、どう見たって手抜きです (-_-;)


Oct.4,2000 (Wed)

 何気なしにwin2kのアップデートを行った。
雑誌に添付されていたCDに、ServicePack1とかと名付けられた、バグパッチが入っていたからだ。
取りあえずはインストール・・・するのだが、やたらと時間がかかる。
適当にTVなど垂れ流しつつ、気長に待つ。

 いつの間にかインストールが終わっており、「再起動しやがれコノヤロウ」というウィンドウが出ていたのでそのまま再起動させた。
今のところ問題は無いようだ・・・。
ただ、win2kはNTとは違ってあのブート中の青画面が無いので、バージョンの文字が起動時に確認できない。
まぁ、コンパネのシステムで確認すればいいや。

 という訳で、コントロールパネルからシステムを選択し、その内容を確認する。
まぁ、ご想像の通り、Service Pack1とかいう文字が恥ずかしげも無く表示されている。
まったくもって巫山戯た会社だ。
バグパッチならそれらしくしたらどうだってんだ・・・・・・ああ、そうか!一度で直せる量のバグじゃ無いから、バグパッチなんて言ったら嘘になるからか♪
などと思いつつ、なんか妙な変更をした所が無いか調べる。
とっとと分かったのが、タスクバー上のクイックランチである。
削除したハズのOutlook ExpressとInternet Explorerのアイコンが復活している・・・即座に削除。

 で、Outlook Expressなのだが、実行ファイル名はmsimn.exeである。
はぁ・・・Outlookなんて名前を変えたけど、結局はMicroSoft Internet Mail&News(イニシャル参照の事)から変わってないのね。

 で、この買った雑誌ってのがアスキーのDOS/V異臭で、どうもこの号を最後に大幅に変わる様である。
そのため、この雑誌で唯一有意義に読むことが出来ていたコラムの類が一様に最終回になっていた。
くっそ〜ガセーおじさんのコラムが読めなくなっちまうじゃねーかよ!


Oct.5,2000 (Thu)

 キャンセル♪


Oct.6,2000 (Fri)

砂上の楼閣県西部地震

 地震だ♪地震だ♪地震があった♪

 などと無節操な事を言っている場合ではない。
本日十月六日十三時三十分頃に、鳥取県西部を震源とした地震が起こった。
地震規模は、M7.1(NHKの地震後10分での速報)程度。
まぁ、私の住む鳥取県東部では、だいたい阪神大震災の時と似たようなレベルの揺れであった。

 で、発生当時私が何処にいたか?というと、研究室の自前の席に座っていたのだ。
私の研究室の私の席に訪れた事がある人間であれば、どのような環境に居るかはお解りだろう。
右手のストーンテーブルには、私の私物である書籍だの資料だのが堆くあり、
そして背後には研究室内の文献や学会誌や過去の論文の類がみっしり詰まったスチール製の書籍棚が、
三段重ねで天井に届こうかという状態なのだ。

 まぁ、私物は崩れた所でたかが知れているが、書籍棚が倒れ込んだらアウトである。
というわけで、揺れが続きそうだと思った瞬間からずっと書籍棚を押さえていた。

 だって、コレが倒れてきたら俺の席が無茶苦茶になる上に、俺自身プチッって逝ってしまうからね。
「押さえてる暇があったら逃げろよ」と思うかも知れないが、結構揺れはするが逃げるほどの揺れでも無かったというのが実状だ。
ただ、保険というか用心のために押さえたのであって、多分押さえなくても倒れはしなかっただろう。

 地震が収まった後に、早速TVでNHKを出して情報を得ようとした。
そのとき初めて鳥取西部が震源である事が分かったのだ。
NHKを見ていると、早速携帯に着信が入った。
「何処かなぁ・・・」と思いつつ、電話に出ると内定先企業の人事担当者からだった。
「地震がありましたけど、大丈夫ですか?」と担当者。
「ええ、大丈夫です。私が住んでいるのは鳥取東部ですので、揺れただけで通常通りです」と答えておく。
そんな遣り取りを2・3交わし、電話を切った。

 地震起きてから五分経ってるか?・・・・いや、経ってないぞ!

 まるで野次馬の如き早さだった。
いやぁ、鳥取に住んでいる内定者が居る事を記憶していたのは分かるのだが、あの早さって何だろうね?
心配してくれているのは分かるが、どうもそれだけじゃ無い様な気がしてならなかったくらい、早かったのだ。
 やはり地震後は、電話回線のアクセスが集中するせいか、携帯は暫く通じなかった。
が、向こうからの着信は入りやすい様で、この後あまり経たずに兄貴からも電話がかかってきた。


Oct.7,2000 (Sat)

何時まで続く?

 午後よりふらぁ〜っと本屋へ行く。
TheFiveStarStoriesのvol.10が出ていたので、早速購入。
同時にギャラリーフェイクのvol.20も出ていたので、これも購入。
まぁ、ギャラリーフェイクはかなり惰性で買っている節があるが、コイツの良いところってのは、フッと読み返したくなる漫画という所かもしれない。
細野不二彦の漫画って結構読んでいるけど、ギャラリーフェイクが取りあえず一番である。
というか所有する気になるのが、ギャラリーフェイクぐらいだと言うことかも知れないね。
実際面白いってのもあるけど、やっぱりメインキャラ以外が主人公になれる漫画だからだ。
当然主人公は主人公として居るけど、かなりの話がエピソードとして成り立っているからだ。

 一方、ファイブスターの方も久しぶりの続刊である。
永野護がこの話を終わらせる事ができるかどうかは・・・っていうか、作者本人が第一巻が出した時点で「無理だ」と曰っているのが問題である。
設定が年を追う毎に膨らんでいく上に、確か'98年には第一巻の年表に修正入れていたハズである。
まぁ、連載開始が何時かは知らないが、一巻の初版が'87年という事を考えるともう十五年位経ってしまっているのだからね。
しかも、月刊誌で不定期連載な上に休むことも多々ある事を考えると、よくもまぁ十巻まで描いたものだということろか。

 で、この作者が第一巻のあとがきで、最初に言及している事がある。
それは、「この物語は何でもありだが、ただひとつ大きな制限がある・・・それは年表である」つまり、何が起こってどう収束するのかというのは最初から決まっているのだ。
ところが・・・先に描いたように、作者はよほど描きたい事または出したいキャラが居たのか、その年表に修正を加えたのだ。
ただ、それは大きな修正では無く、以前の年表をいくらか遡って現世界(星団暦)のルーツであるところ(AD世紀)を加えた点と、現世界の年表の途中に”魔導大戦”をねじ込んだ点かな。
因みにこの”魔導大戦”に関しては、十巻終わり辺りにプロローグが載ってるだけである。
この内容は十一巻で書かれる。

 TheFiveStarStoriesと出会ってもう十年以上が過ぎたが、相変わらずこの漫画が好きである。
あの頃から続いている漫画なんてどだけも無いし、なおかつ未だに興味も持たせているというのも希である。
なかなか続刊が出ないせいかも知れないが、それでも未だ色褪せない感じも無い。
まぁ、私にとってはそういう作品なのだ。

 とにかくね、最近の漫画ってとにかく内容が薄くなる一方ってのが哀しい。
業界がでかくなりすぎた感がある。
幾ら漫画がサブカルチャーの域を出ないものだとしてもだ、現状はあまりにお寒いとは思わないか?
ある編集者の言によれば、「連載漫画は一駅で読める程度が丁度いい」というらしい。
よく分かる言葉だし、ある意味漫画というものの真なのかも知れない。
しかし、それだけでは無いだろう?”あくまでそういう作品も必要とされる”という程度の事であって、全てがそうである必要は無いハズだ。
そういう意味で、多少は面白くなくなってきたものの、あのアフタヌーン(講談社)の立ち読みや通勤途中で読む事を拒絶するが如きの分厚さが好きだ。
男なら中学生程度の体力があれば立ち読みも可能だが、カバンに入れておくには重すぎるし嵩張りすぎる。
あの、とにかく「じっくり読めや坊主」と主張しているでかさに好感を感じているのは私だけではあるまいに


Oct.8,2000 (Sun)

 美人女子大生撲殺事件!

 拭われた血痕の謎?

 湖山街道初秋の惨劇「首無し地蔵」は全てを見たっ!

 忍び寄る掃除屋!

 血染めのモップが振るわれるとき、またひとり犠牲者が・・・

 というタイトルの夢を見た。
始まりは当然”火サス”のメインテーマである。
イントロが過ぎて、切り取られた場面が細切れに現れる。
もちろん、ズン・ズン・ズン・ズン・・チャチャ♪というメロ付きである。
非常に雰囲気たっぷりなのだが、出てくる警察が事件に付けた名は『女子大生殺人死体遺棄事件』という非常に乾いたものだった。
何のためにTV番組雑誌のコーナーの様なタイトルを付けたのか分からないというものだ。

 「どういう事だ貴様ぁ!」

 「どうもこうも、昨日までの調書の内容を取り消すって言ってるんですよ」


Oct.9,2000 (Mon)

 と〜きはぁ、雲を突くよな〜


Oct.10,2000 (Tue)

 今日はベルセルクの日


Oct.11,2000 (Wed)

 ダウン!ダウン!ダウン!・・・・寝込んでいました。


Oct.12,2000 (Thu)

 今日も

 ダウン!ダウン!ダウン!・・・・寝込んでいました。


Oct.13,2000 (Fri)

 明日から学会

 今回は京都

 オーラルセッション出ます


Oct.14,2000 (Sat)

 学会へ向けて出発〜ってなもんで、後輩の車で一路大阪を目指す。
宿代を節約するために、後輩の実家に泊まる予定である。
砂上の楼閣県を出て佐用から高速に乗り、中国道→吹田→近畿道を経て後輩の実家に着いた。
向こうを出たのが夕方なので、着いたときにはとっぷり日が暮れていた。
で、前日に連絡していきなり泊まりにやってきた図々しい男をもてなしてくれた ご両親に感謝♪

でも、結構遅い時間まで酒に付き合わされたけどね(^_^;)


Oct.15,2000 (Sun)

 朝六時四十分頃に起床、手早く準備を済ませ京都へ向けて出発・・・
したのだが、後輩のお母さんが起きてきて、車の中で喰える朝飯を用意してくれた。

感謝♪

 なんか色々して貰って返って申し訳無いくらいだ。
まぁ、そんなこんなで京都へ向かった。
予定では一時間ちょっとだが、万が一の渋滞を考えて早めに出たのだ。 

 さて、またもや高速での移動だが・・・さすがに大阪、珍しい車をチラホラと見ることができる。
後方からバカみたいなスピードで抜いていったフェラーリ348とか、
あの強烈な印象を受けるザガートSZとか・・・
で、極めつけは、ザガート・ステルビオ!
確かに日本に入っているSZは200台も無いかも知れないが、ステルビオに関しては世界にたった200台なんだぜ?すげーよ。

 さて、モロにイタ車的名前の”ステルビオ”であるが、ちょっとモータースポーツに詳しい人ならこの名前に聞き覚えがあるだろう。
そう、あの「ステルビオ峠」から名付けられたのだ。
と、ここまでのお話だと、生粋のイタ車の様に聞こえるのだが、実は半分日本車である。
シャシは日産のレパードで、パワートレインも同じである。

 いわゆるJフェリー以前のレパードのシャシ、そしてエンジンを「オーテック・ジャパン」がチューニングしザガートに供給。
そして、ザガート側がアルミコンポジットによるボディとインテリアを製作して完成させる。
外見は日本車には全く見えず、ザガートらしいデザインを纏っている。
ステルビオを見分けるのに役立つのは、その個性的なフェンダーミラーである。
コレは”フェンダーにミラーが在る”のでは無く、”フェンダーが盛り上がり、後方の段差にミラーが在る”というフェンダーそのものがミラーであるというモノだ
。一度見たら忘れられないスタイリングである。
 エンジンは日産のV6ツインカムであるVG30DET、国内自主規制枠一杯の280PSを6000rpmで、 最大トルクは2800rpmで41kg-mを発生する。
そして、リリース時の車両本体価格は1780万円だった。いやぁ、なかなかお目にかかれない車だよ・・・。

 ああ、そういえば学会の事書いていたんだったよな。う〜ん、何事も無かったよ、今回は。


Oct.16,2000 (Mon)

 月曜日・・・一年ぶり位に講義に出る。
 はぁ・・・今更だけど、N88かよ。


Oct.17,2000 (Tue)

 朝っぱらから機械のデモを見に、倉吉の方までお出かけ。
 今回のデモは、ネギハーベスタ(高畝栽培白ネギ収穫機)である。

 農林水産省の行っている、農業機械等緊急開発事業・・・
 通称=緊プロ(緊急開発プロジェクトを更に略したもの。日本人の悪しき習慣である)
 によって開発された機械である。

この機械は、ネギ収穫に特化した専用車両で非常に高い完成度を誇る。
が、やはり高い・・・・・・でも、高いだけの性能を持っていた。
作業条件が揃えば、現在の二倍以上の作業能率を出すのだ。
車両も、HSTの採用で速度の無段階変速および水平制御を行うので、非常に安定している。
この手のサイズのクローラ車両のくせに、スピンターン(左右のクローラを反転できるって事。
通常なら片側を止めて片側を動かすだけ)ができると、至れり尽くせりである。
西部農協では既に導入を決めており、10台を発注済みとの事だ。
一台当たり約300万なので、単純に3000万からの受注である。
因みに根切り葉切り装置付きの上位機種は、更に60万高である。

 まぁ、これだけの性能ならねぇ・・・・うちの開発した機械とは大違いだ(笑)


Oct.18,2000 (Wed)

 昨日のデモの報告書を書かねばならない・・・が、面倒だ。
 明日出来る事は、明日にやろう。


Oct.19,2000 (Thu)

HDDは消耗品です

 夕方、我がThinkPad560Xの内蔵HDDを換装すべく、パソコン工房に向かった。
今回のターゲットは、10GB程度のIBMの2.5inchドライブである。
ようやく値段もこなれてきて、鳥取でも約20k程度での購入が可能だ。
現在のHDDの状態は酷いもので、Cドラをいつものように2GBしか確保してなかったら、win2kがその半分も占有して仕舞っている。
私が使うアプリをインストールすると、残りが300MB以下になってしまうのだ。
これではデフラグも満足にできやしない。win2kのデフラグツールは、大体15%程度の空き容量を使用。
もちろん、15%を使うのであって、使うためにはそれ以上の空き容量を確保しておかねばならない。
そう、たかが2GB程度のブート&アプリ格納パーティーションでは、空けようにも削除出来ないプログラムだらけなのだ。
そういう経緯もあって、いっそHDDごと交換してしまおうと考えたのだ。

 既にHDDの交換は経験している・・・といっても、工房に行って店長にやってもらっただけだけどね。
さすがにこの辺りのリスクを被るのはゴメンである。
かなり他力本願に聞こえるかも知れないが、ショップがサービスでやってくれるのであれば、やって貰う方が良いに決まっている。
もちろんショップ毎のスキルにも関わるが、以前PowerBook2400cをバラしてたくらいだから大丈夫であろう(PB2400cは分解が非常に面倒かつ危険なのです)。
私がHDDの交換をするのは、ただ単に大容量が欲しいからではない。
HDDを更新するという考えからである。内部に存在するモジュールの唯一かつ重要な消耗品はHDDである。
暫くPC等を使ったことのある方ならお解りだろう、そう、HDDとはまごうことなき消耗品なのである。

 で、パソコン工房に着いたら早速ショウウインドウ内の、2.5inchHDDを品定めする・・・が、品物が3種類しか無いのにガックシ。
しかし、ラベルの無い在庫が3種類の更に横に続いている。
そこで、店員の兄ちゃんを呼びつけて「3種類しか無いの?」と聞くと、「こっちがまだラベルを付けてないけど、これも2.5inchHDDです」と言った。
しかし、続けて・・・「こちらは、IBMとToshibaの20GBの製品です」と来たもんだ。
参考に値段を聞くと、案の定予算オーバーの3万円クラスだ。
値段を聞いた後に苦笑し、私はIBM製の10GBのHDDを買いたい旨を告げた。
そこですかさず「すいませんが此方で換装してもらえますか?」と予定のセリフを吐く。
「どんな機種ですか?」と聞いてくるので、これまた「ThinkPad560Xです、TXのMMX200のヤツ」と答える。
一瞬店員の兄ちゃんの表情が陰る。
「もしかして10GBは認識できないですかねぇ」私のセリフに、「調べてみます」とI/Oデータのカタログをめくり始めた。
いわゆる販売系のブランドには、OEM製品の互換リストが載っているので、それを利用しての事だ。
結構長い時間待たされた挙げ句に出た答えは「いやぁ、載ってませんねぇ・・・なんとも言えないです」というつれない一言。

 (あ〜あ、こういうときに店長がいたらねぇ・・・)

 彼に悪いが、店長とぺーぺーの兄ちゃんでは経験も知識も違うのだ。
認識するしないは、載せた後でないと分からないし、認識しなかったからと言って一度空けたモノを返品する事も出来ない。
今現在、兄ちゃんしか店員が居ない以上、一か八かの選択しか出来ないのだ。
私はしょうがなく、この場は諦めたのだった。

 パソコン工房から戻ると、早速インターネットで情報集めに入った。
結構苦労して情報その他を入手。
所要時間としては三時間くらいだったかなぁ・・・
やっぱりマイナーなネタだけに、関連サイトをひとつひとつ潰し、かつファンサイトにあるFAQを片っ端から目を通した結果、そこまで時間がかかってしまったのだ。

 で、結局どうかと言うと、ノーマルの状態では8.1GBまで認識が可能である。
つまり、10GBを入れても結局は8.1GBしか使えないし、モノがモノなら認識すらしてくれないのだ。
一応コレには回避する手段があり、いわゆるユーティリティソフトの類でフル認識出来るというモノだ。
これはOSよりも更にBIOSよりのソフトなので、積極的に使っている人は希だ。
私は、てっきりTX程度なら20GBまで行くと思っていたのだ。
不勉強である。

 しかし、今回色々と普段回らないサイトを見て歩いたので、非常に勉強になった。
取りあえず、聞いた範囲で最も有益な情報はThinkPad560Xに160MBまでメモリを積むことが出来るという情報だ。
私が以前調べた範囲では、保証外の上限は130MBだった。
つまりだ、こヤツは動作保証外でなんと、128MBのEDOメモリモジュールを積んでも動くという事じゃないか!いつか金が余ったら試してみるかな。


Oct.20,2000 (Fri)

DJSA-210購入

 先日の調査結果より、HDDの換装に踏み切ることにした。
というわけで、夕方に友人とパソコン工房に行く。
予定通り、IBMのDJSA-210/10GB/4200rpmを購入、ThinkPadと共にパソコン工房に一時預けることにした。
その場で交換してもらうつもりだったのだが、店長が居ない日だったのでいつもの兄ちゃんだけである。
それに、納入待ちのDOS/V機が沢山あるため、いきなりコイツの作業をやってくれない為である。
翌日の夕方には出来ているという話なので、続きは明日である。

 メインの計算機が無いと仕事は出来ない。
なんてったって、殆どの資料その他がPCに入っているからである。
これは、ある意味非常に危険な状況であるが、核爆発が近くを襲わない限り私のバックアップ計画は大丈夫である。


Oct.21,2000 (Sat)

560X換装

 いきなりであるが、先日の続きである。
 今度は後輩と共に、パソコン工房にThinkPadを受け取りに行く。
予定通りHDDの換装は終わっていた。一応筐体に異常がないかを調べたが、取りあえずは無事のようである。
その後大学へ戻り、セットアップに必要な機材・ソフトを掻き集め、自宅にてセットアップを開始した。

 セットアップはスムーズに行われた。
懸念されていた8.1GB縛りは、NT系には関係ない様である。
10GBというのはプレーンな状態を指しただけど、1024b=1kbであるから、実際に使えるのは大体9.5GB程度である。
PetiScanを使いたいので、先頭から3GB+/win2k,2GB+/winMe,残り/データ領域として使用する予定である。
先頭から2つのパーティーションは基本領域として設定し、残りをデータ用に拡張領域として使用するのだ。
Dualブートに関しては、別途やり方を記述する予定であるので、そちらを参照して頂きたい。


Oct.22,2000 (Sun)

560X再構築

 昨日より始まった、再セットアップ(実際には新規だがね)はかなり大変・・・
 今まで使っていたディスクをUSBで接続してファイルを拾おうと思ったのだが、認識しやがらねぇときた!
しょうがないので自分でThinkPadを開腹し、再び以前のHDDを載せてUSB接続のHDDへデータを逃した。
色々あって都合2回も自らの手で開腹する羽目に・・・これなりゃ最初から自分でやっておけばよかった。
ままならぬモノだ。

 しかし、Dualブートはこの時点では巧く行かなかった。
どうもdebugコマンドの扱いがwin98でやったときと同じではダメな様だ。
どうも正しい書式を調べないと・・・。


Oct.23,2000 (Mon)

環境復活!

 ようやくThinkPad560Xを叩ける生活に戻った。
改めて思うのだが、俺ってむっちゃコンピュータに依存して生きているなぁ・・・。
細々とした事務処理から各種の書類作成はもとより、最近撮った写真は全てデジタルだし、
スケジュール管理やコミュニケーションツールとしてもね。
無ければ無い生活があるのだろうが、TV無しの状況より耐えられないかもね。

 携帯電話は無くてもいいけど、パソコンが無いのはかなり困りものだ。


Oct.24,2000 (Tue)

なにやったけ?


Oct.25,2000 (Wed)

 毎度の事である、農業機械の実演検討会。


Oct.26,2000 (Thu)

 今日の業務はDVの内容をVHSに落としただけ〜というか、最近の分の日記が非常にアレで申し訳ないです。


Oct.27,2000 (Fri)

塹壕・ざんごう

 朝っぱらからゼミ・・・しかも俺の番だし・・・。

 まぁ、ゼミはどうでも良い。適当にお茶を濁しておいたから。
それよりも、午後からの実演検討会である。
秋に入ってから「一体どれだけやったよ?」とぼやきたくなるほど続いている。
で、今日の場合は長芋収穫用に使えるトレンチャーである。
 ここで機械の用語に不慣れな方の為に説明しておくと、トレンチャーというのは溝を掘削する機械である。
で、私が見に行ったのはコレに近いものであるが、トラクタのアタッチメントとして使うタイプである。
メーカーは、先に例を出した画像の機械と同じで、川辺農研産業株式会社のものである。
この企業は、どちらかというと東の会社で。本社が東京、支社が青森と北海道というもの。
東京から4トン車の荷台に機械を載せ、はるばるやってきたという非常にご苦労さんな方々である。

 で、せっかくデモをしてくれるというのは有り難いのだが、段取りが悪すぎる。
ハイドロ(油圧)のホースが足りないわトップリンクが無いわで、実際に動くまでにやたらと時間を喰った。
ようやく動き出すまでに一時間以上をロスしていた。

 動き出してジャンジャン掘る・・・ハズがやっぱり砂丘砂、掘った端から崩れてゆくでわないか。
それに装着可能なトラクタのうち、最も小さいトラクタに取り付けたためにパワーが足りない。
安定性も然りで、抵抗がキツイとトラクタの車輪がめり込み出す・・・ちょっとマズイなぁ。

 カタログを貰って仕様書を眺めていると、tnkさんが不意に言った。
 「掘削深さ1.2mかぁ・・・なぁ、1.2m掘削できるってよ」
 「へぇ、そうですか」
 「こんだけ掘れるんだったら・・・塹壕掘れるな」
 「・・・(笑)」

 毎度ながら痛い発想だと思う。
しかし、これだけでは済まなかった。tnkさんがこの企業のひとを捕まえると、おもむろに聞き出す。

 「この機械、自衛隊には出してないんですか?」
 「いや・・・自衛隊には出してないです」
 「いや、これだけ掘れるなら塹壕がほれるんじゃないかと思いましてね」
 (〜中略〜)
 「ええっとねぇ、確かちょっと前の戦争・・・湾岸じゃ無くてそれよりも前・・・」
 「フォークランド位まで戻りますか?」
 「いや、中東の・・・」
 「中東戦争とかイラン・イラク戦争」
 「そう!イラン・イラク戦争だ。あのとき買いたいって話が来たんだ」
 「えっ!!!・・・・塹壕掘りに?」
 「いや、死体を埋める穴掘るのに」
 「・・・(マジ?)」
 「でも、武器等輸出規制に引っかかるってんで、売れなかったですけど」
 「はぁ・・そうでしょうねぇ」

 最初に聞いた本人も、もしかしたら・・・程度のものだったろうが、
イラン・イラク戦争の時に機械にオファーがあったなんていう妙なエピソードを引き出す結果となった。
聞いてはみるものかもしれないが、ああいう返事が返ってくるとは思ってもいなかった。


Oct.28,2000 (Sat)

 サボタージュ♪


Oct.29,2000 (Sun)

 サボタージュ♪


Oct.30,2000 (Mon)

 今日は宴会である。三階生が研究室に配属されるので、歓迎会をやろうというのだ。
 以下略♪


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