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過去の日記



[行間を読め!]

Feb.1,2001 (Thu)

 ねむい・・・昨日より月を跨いで色々とやっています。主にプレゼン関係で、これはちょっと置いて要旨を10枚書かなければならない。ゼミの後、修論の初稿も戻って来たので本格的に作業に入る。まぁ、本論がそこそこ出来ているので、それほど苦労する内容でも無いのだが、車校や他の連中のサポートをしなければならないので、あまり悠長にやってる訳にも行かないのだ。なんつうか・・・俺と同じライン上で卒論書く四年生・・・きみ多分このままだと留年必至だね。与えられた時間はもう無いと思いなさい、君はD線を既に越えていると思うから。データの開示と意見ぐらいはするが、手伝ってくれる等とは思わないように。手伝わないから。

 さぁてと、来週のゼミまでには発表練習の一発目程度ができる体制にしておかないとね。それと単位に関して各教授に釘を刺さねば・・・。

〜今日の車校〜

 取りあえず2回目〜♪

乗る、また教官が違う。

「今日は2回目ですね、昨日は・・・何も書いて無いけどどんな事やりましたか?」

「えっと、内周と外周グルグル回ってました、後、適当に中を曲がって、S字にも入りましたね」

「誰?そんな事やらしたの」

「私はよく分かりませんが・・・」

「えっと、25歳ですよね、免許取消は受けてないよね?」

「初めてですよ」

「じゃ、無免で乗ってたの?」

「・・・ええ、まぁ」

「何乗ってたの」

「いや、トラクタとかトラックとかです。農作業の時に」

「ああ、そう、じゃわかるね」

 入校してから何度目かの説明である。まぁ、細々としたルールとかになれば、こんな面倒な遣り取りも無くなるだろう。

 結局、教官と世間話しながらまたコースを適当にグルグル回る。

 今日はこの後にも、もう一度乗った。


Feb.2,2001 (Fri)

 昼に研究室に来ると、四角い荷物が待っていた。

「む?爆弾か?!」

 などとは思わず、昨日落札&交渉を行ったYahoo某クションで落としたUSB_HUBである。この間買ったんじゃ無かったっけ?という突っ込みは無視である。目の前にIBM純正のオプション品の新品が安く在れば、そんな事は吹っ飛んでしまうものだ。

 さすが新品と言おうか・・・ちゃんと保証書が在る。それにこれはマルチポートHUBで、USBを介して、シリアル、パラレル、PS/2のポートがあるのだ。つまり、ThinkPadから出るケーブルを電源とUSBケーブルだけに出来るのだ。

 とにかくThinkPadのサブノートを使っている人間には非常に有益なデバイスである。私の環境の場合、USBのイーサネット変換ケーブルを使えば、本当に電源とUSBのみに絞れるのだ。ついでに言えば、AdptecのUSB_Xchangeも購入しており、これを使えばその辺のSCSI機器もUSBから使える訳だ。レガシーフリー万歳♪(笑)
 しかし誤解が在るといけないので言っておくが、多数の機械を容易に繋げる為にレガシーフリーなのは良いが、全てがこうであって欲しい訳じゃ無い。RS232C(シリアル)は未だ必要なポートだし、パラレルだって無くしては困る。USBが増えてきたがちょいと前の機器は全てRS232Cだし、USBに対応させない機器だってある。単なるPCユーザーには関係ない世界かも知れないが、私自身使う機会が未だあるので完全排除は待って頂きたい。それにUSBだってUSB2.0が直ぐ後に控えているのだから、また色々と問題が出てくる事間違い無い。そういうもんだって。

〜今日の車校〜

 取り合えずだが、乗車5回目である。鬱陶しい確認をしながら次々と狭いコース内を曲がってゆく。なんかあくせくして疲れた・・・・。

 その後、学科をひとつ受けた。人間は3人しかいない、高校生は18:30以降は受けられないからだ。学科教習が終わると、2輪を取りに来ているヤンキーと目が合った。顔(目線)を上下しつつ何故か威嚇してくる。そのまま余裕を持って視線を受け、目を合わせたまま軽蔑の眼差しを返してやる。しかる後に興味が無さそうな表情で、通り去ってやった。どうも何を勘違いしたのだろうか?とにかく変なヤツだと決めつけてやった。っていうか、俺にいちいち喧嘩売るな。何せ適正診断では、自己抑制(制御)が10段階の9(1が歯止めが効かない方)だったが、攻撃性が10段階の2(1が一番ヤバイ値)だった男なのだから(笑)だからさぁ・・・この適正診断の質問適当過ぎるよ。こんな温厚な人間捕まえて一体何を言うのだか。


Feb.3,2001 (Sat)

 太巻きに囓りつくのは、何時から始まったんだ?

(今日は長いよ)

 先日後輩がお亡くなりになったノートPCを持ってやってきたのだが、原因はHDDが物理的に破損しているという結果になった。というわけで、今日は後輩と2.5inchのHDDを買いに出た。取りあえず、\25kは持ってこいと言うと、素直に持ってきていた。まぁ、これは最高額を念頭に置いての措置である。いつもの如くパソコン工房砂上の楼閣市店へやってきた、店で(比較的新入りの)兄ちゃんに2.5inchのHDDを見せてもらった。

「この三種類しか置いてないんですか?」

「ええ、今はこれだけです」

「8.5mmのドライブが欲しいんだけど入荷予定は?」

「あ、いえ・・・それはちょっと・・・」

 と、ちょいと古株の兄ちゃんへ聞きに行く。新入りがちゃんと答えられないので、古株の兄ちゃんが直接接客にやってきた。

「次の入荷予定は特に決まっていません、モノを指定して頂ければ取り寄せも可能ですけど」

「今時8.5mmは流通量少ないの?」

「ああ、此方に1つだけ8.5mmが在ります、東芝製になりますが・・・」

 おい!(-_-;)在るじゃねーか、新入りの兄ちゃんよぉ。

「容量はいくつです?」

「此方は9GBになりますね」

「価格は?」

「えー、\22kになりますね」

「高いですね」

「ええ、まぁこれは8.5mmということで・・・」

「東芝の1プラッタ15Gのヤツはまだ此方には入って来ませんか?」

「ああ、新製品のアレですか・・・まだ此方にはちょっと」

 やはり砂上の楼閣県、流通の下端に位置するだけあるな。

「おい、払えるか?」

 と、後輩に聞く。

(後輩)「はい」

「じゃ、これ下さい。ほら、会計」

(後輩)「はい」

 と、自分の金じゃ無いと、決めるのが早い早い(笑)

 後輩が会計を済ませると、私はとっとと店を出た。さて、結構いい加減な買い方と思われるかも知れないが、私は良く知らない初心者に関しては多少高くても近くの店で買わせる。まぁ、当然と言えば当然だね。だって、自分のモノじゃ無い以上、俺は責任がとれない。それに、ただひたすら”安い”を望むヤツは最初っから相手にしない。

 これが終わった後に、Y○MADA電器と本屋に寄って車校に行った。セットアップは夜中にすると約束して。

〜今日の車校〜

 今日は2時間乗る予定である。私の紹介で入った大学院の同期も、今日から教習である。ああ、因みに同期のヤツは大型二輪である。何故に今頃取るのか?彼も仕事で使うからだ。どういう仕事やねんという突っ込みは無しである。簡潔に書こう、彼はVFR750Pに乗る可能性があるからだ。さぁ、大抵の方にはモロわかりですな。

 今日の教習は色々とやった。S字とかクランクをバック(R)で抜ける練習である。クランクは比較的簡単に行けるのだが、S字はなんか分かり難く2回も脱輪の憂き目に遭う。教官が意地の悪そうな顔を浮かべる。どうも私に失敗させたくて仕方が無かった様だ。乗車経験の最も長いトラクタは、シートが後ろのデフの真上に在るため、バックの感覚は非常に分かり易いのだが、さすがに普通乗用車は面倒だ。しばらくしてようやくポイントを教えてくれたが、そのときの言葉がこれ、

「いやぁ、入鹿(実際は実名)さんのプライドが許しませんかな?」

 適正診断の結果を煽る様なセリフだ。やる意味あったのか?>適正診断

 そいで、もうひとつあったのが、坂道発進の様なモノ。教習所のコースに必ずあるあのスロープに入り、スロープ横に設けたポールの位置にクラッチだけで止めろと言う。まぁ、半クラッチの練習だな。取りあえずやってみる。一度で出来た。じゃあ次は・・・と教官が反対側からスロープに進入させ、傾斜のきつい方から同じ事をやるように指示。こちらは停止状態に持っていくまで時間がかかったが、取りあえずは出来た。そこで新たな指示が出る。

「じゃ、このままゆっくりと前進させて」

 言われるままにクラッチをゆっくりと離す方向へやり、ゆっくりと前進させる。

「次は後退して」

 今度は、ゆっくりとクラッチを踏み込み、ゆっくりと後退させる。

「元の位置に戻して」

 で、また逆をやり元の位置で止める。

「できたねぇ」(教官)

「できましたねぇ」(俺)

「やること無くなっちゃったねぇ、後は適当に回ろうか」

 で、その後そのまんま左の車輪を路側のラインに載せながら、外周を回っていた。なんか色々やってくれるのは面白いのだが、未だ安全確認が抜けたりしてしまうんだから、このままでは仮免に落ちてしまう。徹底せねば
・・・補習費用を出す余裕は無い。

【夜中】

 後輩がノートPC一式を持って研究室へやってきた。壊れたHDDを、昼に買ったHDDに換装する為である。テーブルを空け、広い作業空間をつくり、早速作業に取りかかった。本体の開腹については、先日既に確認を取ってあるのでとっとと進める。交換後、後輩にリカバリCDを要求すると、「持ってきてません」のひとこと。「持ってきやがれ」と、とっとと追い出す。取りに行っている間に、パーティーション切りとフォーマットを済ませておく事にする。HDDのレスポンスはそこそこ高速で、駆動音もそれほど大きくは無かった。最近のIBM製の2.5inch/HDDはあまり信用出来ないので、やはり販売数的に東芝が最も良いのかも知れない。ノートPCのユーザーは憶えておいて欲しいのだが、IBMのDJSAシリーズは購入を控えた方が良い。それは、心臓に悪い音を出してくれるヤツがあるから。最近は鳴らなくなったが、以前は「カツーン」と非常に怖い音を出す事があった。調べてみると、意外とこの不具合?は報告例が在るようで、皆一様に「出来れば使いたくないなぁ」という感想を述べていた。私も修論を書いている真っ最中であるだけに、日々のバックアップ作業は怠らない様にしている。修論が終わって、東芝の15Gプラッタが出回ったらとっとと換装しようと思う。

 そうこうしているうちに後輩が付属のソフトをもって戻ってきた。リカバリ用のFDとCDをセットしリカバリ開始!後はほっとくだけである。1時間以上経過して2時間に達しようかという時にリカバリのコピー作業は終わった。そいじゃ再起動っ、とリブートをかけると、立ちあがあらない。何故?と思いつつ領域情報を見るとCがアクティブになっていない。あれ?確か設定したハズなのだが?まぁ、そこはおいといて再設定し、更にリブート。ようやくFujitsuロゴ付きのwin98起動画面が現れた。あ、言って無かったが後輩のマシンは、FMVのサブノートだ。まごうことなきVAIOの対抗馬的デザインで、マグネシウムボディなせいか、非常に硬い印象がある。あくまで硬質であって、堅牢というイメージは湧かないがね。本体はVAIO並の品質を維持しているのだ、付属のポートリプリケータやFDD、CD-ROMドライブは非常にチープである。見れば分かるのだが、「コストとはこうやって落とすんだ!」という衝動さえ浮かぶ程だ。今後何があっても自分の金を出してFujitsuのパソコンを買うことはあり得ないだろう。”酷い”の一言で表すのが非常に甘い採点と言えるような内容だからね。

 で、立ち上がった後にユーザー登録を始めた。法人名は私がセットアップ時に必ず入れる”アレ”を入れた。他人の手を煩わせた証拠としてだ。所期登録画面がWindowsのプロダクトキーを要求してきた。後輩に、

「Windowsのライセンス証はどこ?」

「え、それ何ですか?」

「だからこういうの」

 と、画面に出ている簡易な画像を指し示して問う。

「えっと・・・」

 ガサガサと荷物を確かめる。

「なぁ、俺はどうせ分からないから、全部持ってこいって言ったよなぁ?」

「ええ」

「ここにあるので、パソコン関係のものは全部か?」

「いえ、まだあります」

 はぁ・・・ドッと疲れて後輩に次に何をすれば良いのか教えて帰した。


Feb.4,2001 (Sun)

 今日は本当に適当に過ごした。

 起きる、後輩と飯を食いに出る。

 帰りしなに怪しげな本屋にて、エロ本を物色。

 その後、後輩の研究室のM2と和む会話をダラダラとする。

 後輩を活用しつつ、車校へ。

 学科教習を1コマだけ受ける。

 家に帰って風呂に入り大学へ。

 4年生が大角豆を数えていたので手伝う。

 再び後輩と晩飯へ。半年近く喰ってなかった気がするので、ジャンクなビーフボウルを喰らう。

 そして、今に至る。

 ちょいと前に本屋でダニエル・キイスの『心の鏡』を購入。しかし、未だ開いていない。修論の直しが終わってからと自らを抑制しているからだ。しかし、同時に買ったミステリ小説は読み出している。そんなものだよ、私の自律なんて(笑)

 ダニエル・キイスは良いと思いつつもビリー・ミリガンには手を出していない。何故かってぇと、一時期やたらと流行ったので読む気が失せていたからだ。流行り廃りだけでモノを見るのは危険だが、やはり心情としては流行りものからは一歩引きたくなる。流行っている時に小説を読むと、否が応でも世間の評判とかいう標準的な解釈が目に入る。それらを超越した所に名作があるのだろうが、私は自分の読書を大切のしているので、あえて旬な時期を外す。こうすれば、旬な時期で無いと読めたもんじゃ無い作品を排除できるからだ。

 などと最もらしく理由を付けてみたものの、結局は「ハードカバーで買う金を出したく無いんだろう?」と言われて黙るのみだ(笑)


Feb.5,2001 (Mon)

 腰がいたひ・・・・。

(手抜きです)


Feb.6,2001 (Tue)

 今日は〜腰が痛くて日中大学へは行けなかったの〜車校にも同様。


Feb.7,2001 (Wed)

 今日は朝から砂丘で実験です。もちろん私の実験じゃありません。今頃駆け込みで実験をやるのは、非常に危険です。良い子はまねしちゃいけません。

〜今日の車校〜

 今日は学科教習を受けただけです。夜中に2コマだけ。で、2コマ目の教官にすげぇ腹が立ちました。もう、ホントに凄くです。詳しく語ると思い出すので、書きたくはありません。しかし、書かないのもストレスが溜まる・・・。で、結局書きます。

 2コマ目は、学科の2でした。かなり基礎的なルールについてです。別に内容にとやかく言う訳じゃ無いです。問題は、先に書いたとおり教官にあります。

 その教官は、合宿の教習生を受け持っているのか、そのできの悪さに腹を立てるというか、興奮している様子。途中から1人でヒートアップして早口でまくし立てる上に、説教まで始めます。そこで教習を受けていたのは合宿生だけで無く、俺の様な学生、そして社会人が居たにも関わらず、その教習生を対象としてやたらと興奮している。

「昔と比べてとにかく学科の出来が非常に悪い!」

「この教習で間違っているようではダメなんだ!」

「いいですか!この程度の事が分からないで検定には通らない!」

 と、まさしく視野狭さくそのまんまに1人で突っ走る。

「じゃ、これわかりますか?」

 と出した問題、次々と当てて行って途中から出された問題に答えられず、次の人に順繰りと当ててゆく。次第に当てて次へ行くスピードが上がり、私が当てられて答えようとすると、

「さっき言った事でしょう?」

 アレ?俺答えようと・・・という間に、答えないと決めつけてまた興奮した口調でまくし立てて行く。そして先に書いた様な内容を再び連呼しつつ、興奮したまま話を進める。教習生の事など知った事かと言わんばかりだ。

 俺はあんた(教官)の感情の発露を見物しに高い教習料金払って来ている訳じゃ無い。通勤や仕事自体に必要だから、普通運転免許を取りに来ているんだ。言いたい事は分からないでも無いが、教習料金を払って聞いている学科教習を私物化するが如きの所業は如何なものか?確かに最低限の事(学科教習)はした。しかし、最低だ。

 いい加減ウンザリしていたが、最後に教室を出る前に教官へ、

「ひとつよろしいでしょうか?当てておいて答える前に切り上げるのは止めて下さい、何の為に当ててるんです」

 そうとだけ言って俺は教室を出た。

 昔の教習所はもっと酷かったというが、問題は今の事。すげぇ言いたかった一言が、

「あんた警察の出身だろう?」

 だ。


Feb.9,2001 (Fri)

 教授のチェックが返ってきた・・・CAD図に直しが入っているぅ・・・
ああ、文章なんて幾ら直されても堪えないが、CAD図は時間を喰らうからイヤだ。昔の人達にとっては、簡単に書き直せてしかも綺麗なCADをなんて楽なモノだと思うかも知れない。しかし、これがデフォルトになると、やっぱ面倒なものは面倒になるのだ。

 最近、車校行って無いなぁ・・・。


Feb.10,2001 (Sat)

 考え疲れて結論に至る・・・マーフィーの法則にあったな。なんつうか、このニヒリズムに溢れる法則は嫌いなのだが、図星を指されるという理由も多々あると思う。そう、まさしく今私はこの状態に至ったのだ。

 修論要旨を書いていたのだが、なんか今年から枚数制限が出て、10枚とか抜かしやがる。そんで私が書けた枚数が13枚・・・不吉云々じゃ無くて、ここから3枚分も圧縮せねばならない。ああだこうだと頭を悩ませたが、結局去年の修論生の要旨を眺めているとあることに気付いた。ああ、あの人は12枚書いている・・・。そして、今年から始まった枚数制限、今年の持番である研究室の助教授は言っていた。

「まぁ、今年は最初って事で絶対守らないといけないって訳じゃ無い」

 そう、私は13枚で行くために自分を正当化する理由を見つけだしたのだ。

 では復習しようか、「考え疲れて結論に至る」けだし名言だね。

 テレテレと修論を書いていると、ICQに反応があった。またあの香港人か?と思いきや、電脳師だった。ICQでのおしゃべりはかなり久しぶり、というか前にインストールした時以来やってねぇよ。話題は最近出没したHMX.NETのhtmlソース所か、ディテールに至るまでを忠実にコピーした上に、日記の文章までコピっているアレなサイトである。

 いや、私もサイトのデザインにあたり、参考にさせて頂いたサイトは在るにはある。しかし、それはやりたいデザインを実現しているサイトのソースを参考にするのであって、まんまコピー等という愚行はしていない。まぁ、以前一歩さんのサイトデザインを基に骨格を造ったサイトもあったが、色や画像の配置等々と「コピーした」と後ろ指さされる様な程ではない。ついでに言うと、一歩さん所みたいなサイトデザインは、フレームを嫌う人には結構一般的だったりする。つまり、目的に応じてデザインが決定するという事だ。『入鹿屋本舗』は、フレームを使って様々なコンテンツを効率よく閲覧させるつもりで造ったのだが、実効は上がっていない。未だ旧体然とした他のファイルをコンバートしていないからだ。それでも、右側メニューのフレーム割りは私は結構好きだ。だって、スクロールバーとかが近くなるからね。欲を言えば、HMX.NETの様にファイルメニュー的なリンクを上部に設けたい所だが、綺麗にデザインできるかどうか不安でもある。

 まぁ、あのようなBeOS風にしているくせに、最近はBeOSとご無沙汰している。ああ、とっとと弄くってやりてぇ。


Feb.11,2001 (Sun)

 要旨は書き上げた事は書き上げたのだが、教授から突っ返された。構成を直せとの事。まぁ、1から10まで書いたからねぇ。しかし、眠い頭を叩いても考えつかなかったんだから、渡りに船だわい。

 自己完結がモットーな私の机は、ThinkPad560Xから延びたケーブル達が這い回ってます。この間買ったUSB_HUBで一本化できる〜云々と言っていたが、だからといって直ぐにUSBのイーサネットアダプタとかを購入出来る訳じゃないので、相変わらずですわい。サブノートだから、そうやってゴチャゴチャと付けなければならないのは確かだが、オールインワンでは持ち運びの際に余計なドライブを抱え込む事になる。それに机の上に設置している時は、別にどっちだって良いじゃない。

 背面から出ているUSBケーブルはHUBで分岐されて、それぞれHDD、スキャナ、マウス、等々に接続されている。そいで、PCMCIAからイーサネットとSCSIが延びていて、FDDは標準のが外付け、ACも含めると結構なケーブル数だ。ストーンテーブルの当たりで発生している磁界を視覚的に見れたら面白そうだ。

 ノートのユーザーになってから結構周辺機器が充実したと感じる昨今である。


Feb.12,2001 (Mon)

 修論にかまけている間に世間では、酷い事故が起こっていた。日本が絡んだ潜水艦事故って「なだしお」以来じゃねーのか?状況的にも立場からもそうだが、事故原因はやっぱり100%潜水艦になってるね。やっぱり「なだしお」の時と同じく、潜水艦が何もしなかったのが結構問題になっている。浮上したところで、その特殊な構造上そうそう救出活動へ移れないのはしょうがないというもの。だが、事故に遭って船と仲間を失った人間にとっては、構造もへったくれも無い。アレだ、交通事故に遭って、轢いた相手が速攻119とかしてくれるけど、その後はただジッと見てるだけってのと同じだもんね。この事は、第一富士丸と「なだしお」の時に散々言われた事だから、今時の海上自衛隊はとっとと救出活動に入る。あの事故以来、そういう訓練が義務づけられたらしいから。

 第一富士丸と「なだしお」の事故からもう十年以上経ってるんだなぁ。こういう所でなんか時間の経ち方を感じてしまうね。

 「えひめ丸」の乗組員ならびに実習生の方々の早期発見をお祈り致します。


Feb.13,2001 (Tue)

 やっぱり最強は続く・・・

 何時のまにか、Googleがiモード端末から利用出来る様になっていた。すげぇ、Googleの検索スピード&精度を携帯電話から使えるのかよ・・・。でも、おれiモードとかez-web対応の携帯電話持って無いけどね(笑)ああいうのは便利だが俺には要らねぇ。

 昨日付けの日記にも載せている件の原潜のページを発見。ドメインに名前を冠しているくせに、おもいっきし非公式である。というか、本分の内容から察するに単なるフリートマニアの様である。
 一応アドレス載っけておくか、ここ しかし、偶然自分が選んでドメイン登録に使ってしまった原潜が事故起こすなんて考えて無かっただろうねぇ。


Feb.14,2001 (Wed)

 今日は今日で何をやったかなぁ・・・?ああ、ようやく要旨に清書の許可が下りたのと、修論本編の方が「見てる時間が無い、でも・・まぁ、大体良いだろう」との教授のお言葉を頂いたので、切り上げる事にした。もう、やりたく無いったら無いの。

 今日は珍しく日が変わる前に帰る事とした。


Feb.15,2001 (Thu)

 ちょっと前にYahoo某クションにて落札した品物が届いた。OS/2 Warp3.0である。因みにOS/2の最も新しいバージョンはWarp4.0であるので、ちょいと古いヤツという事になるのだ。でも、これならi386から動作するので、i486なんかでサックリ動作するのだ。まぁ、欲を言えばWarp4.0が欲しかったのだが、Yahooで4.0はやたらと高値になるので、手を出すのを止めた。

 年中行事である件のアレを日が去ってから思い出した・・・そう、製菓会社が毎年煽っているものの、不況の世では今ひとつなバレンタインディとかいうヤツだ。

 その発祥は終戦時まで遡り、進駐軍のバレンタイン少佐が2月14日に子供達にチョコレートを配ったという故事に由来する。であるから、2月14日に「ぎぶみーちょこれーと」と発すると、どこからともなくチョコレートが貰えるという訳だ。(c)究極超人あ〜る

 因みに今年の戦果は”0”。何処にも行かなかった上に、特定のくれそうな相手も居ないからである。まぁ、しがらみのバロメーターとして見れば、実にサッパリしていて良いのだが、戦果が無いとどうしても負け惜しみと取られるのが世の常である。俺は胸を張って言えるぞ、「くやしくないやい!」(笑)


Feb.16,2001 (Fri)

 今日は論文要旨の提出日です。

 私は前日までに教授の校正をクリアしていたので、あまり慌てる事も無かったです。問題はその他の人々、とにかくアレやコレやとバタバタバタバタ・・・・。

 特に私の下にかつて付いていた様な気がする4年生に至っては、今日の今日に来て内容が100%差し替えという笑ってしまう事態に陥っている。昔々、といっても今年の夏前あたりに私が予言した通り、私の原稿丸写しの状態になってます。教授もとっとと追い出したいのか、どうも卒業させてしまおうという具合。結果、彼の取った行動は、私の某学会の講演要旨と某学会関西支部投稿論文から適当に切った貼ったした文章を要旨として出していたようです。

 ただ、私のその文章とかも教授のチェックが当然入ってる訳で、教授にはあっさりと見破られて居ました。


Feb.17,2001 (Sat)

 今日は昼まで寝た後に大学へ行き、発表の準備をやってました。

 ただそれだけ・・・日記の価値無し。


Feb.18,2001 (Sun)

 新記録?かも。

 今日は一日・・・そりゃもうただひたすら寝ていました。これだけ寝れるものなんだろうかと思うくらい、ずうっと寝続けました。

 つう事で何もやってないっす。


Feb.21,2001 (Wed)

 今日は発表練習の日だ。ホントは昨日だったのだが、色々とあった結果この日になってしまったのだ。メインは4年生なのだが、1人結局来なかった。つうわけで、ずいぶん前から仕上がっているヤツと、今日というかついさっき間に合わせで適当に造ったヤツの2人が最初に教授に見せた。

 もう・・・この格差というか落差の激しいこと激しいこと・・・。まぁ、適当にやって卒業できるなら、頭なんて幾らでも下げてやろうってもんだよな。卒業したければプライドなんてのは、一番最初に吹っ飛ぶ薄っぺらいものとも言える。あ、俺の事じゃ無いからね、一応言っておくけどさぁ(笑)

 練習が終わった後、適当に過ごしていたが寝不足が祟ってか、とにかく眠かった。久しぶりに、19時前に大学を去った。帰り際、後輩というか葵2に用事があったので、そちらの研究室に行くと、丁度買い出しに出る所だった。ついでってことでそれに便乗、更についでと言い、一度自宅に寄って貰いスーツをクリーニングに出してきた。安げなスーパーへ行き、それぞれ食材を買い帰ろうとした時にその事件は起こった。

 いや、事件という程でも無いのだが、車が一台セルは回るがエンジンがかからないとう症状に陥って本線からスーパーに入る通路の入り口で立ち往生という、甚だ迷惑な状態に陥っていたのだ。そいで、我々男3人組を見つけ、いかにも「困ってます」という顔で近づいて来たのだ。まぁ、我々も悪人じゃ無い訳で、取りあえず押してあげて駐車場の方に避難させた。ここまでは、別段普通であったのだが・・・。

 そして、我々が車に乗り込み、帰ろうとしたそのときだった。立ち往生で困っていたおばちゃんが、現金握ってやってきたのだ。見た感じ3人で3千円といった所だろう。しかし、問題はそんな事ではない。現金を見た瞬間俺は不機嫌になった。そりゃ困っている他人に積極的に関わる俺じゃ無いが、困っている人間に頼まれて断るような事はしない。向こうにしてみれば、困っているところを助けて貰って、感謝の気持ちを表すのにその場では現金くらいしか無いのは想像の範囲ではある。しかし、好意でやった事を直ぐに現金化されては、此方が不機嫌になって当然というものじゃないか?まぁ、葵2とその研究室の先輩(同じM2)が居たが、同じように現金を受け取るのは固辞した。

 そりゃ疲れた俺の顔見て不機嫌そうにしていたかも知れないが、俺は別にサービス業で日頃生きている訳じゃない。好意は好意として受け取っておきなさい。感謝を表すのに現金見せると、返って逆効果な場合は非常に多い事だと思います。


Feb.22,2001 (Thu)

 明日はいよいよ修論発表の本番である・・・って前に、今日は卒論発表会であります。まぁ、うちの研究室の卒論生は3人居まして、Wは先に先に仕事をこなしていた為、かなり早いうちから、教授の放任状態に入っていました。あ、教授の放任状態ってヤツは、な〜んにもしてなくて呆れかえっているか、殆ど出来てしまってもう面倒見なくて良いかのどちらかって事です。もちろんWは後者の方な訳で、そいで別の卒論生Hは前者でした。この2人が昨日付けの日記の卒論生な訳ですわ。そしてもう1人、よく解らない状態の卒論生Yが居て、コレが要旨を上げた直後からヒッキーになっていたようないないような、重ねて言うが「よくわからない」のだ。でも、卒業はする気があったのか、全く練習も何もせず、当日の朝にやってきて発表すると曰う。さて、大変だねぇ・・・。

 取りあえず発表をするにはしたのだが、なんつうか、tnkさん曰く所の「考えられ得る最悪な事態」を招いた訳で、土壇場へ来て更に引きずり回される結果となった訳だ。俺は確かに空いてる時間は手伝ったり、分からない所に関しては教えていたが、まぁ、口で言うほど手伝った訳じゃない。問題は、自分の時間を割いて、どうにもならない状態から「なんとか」してあげたtnkさんの協力を台無しにして、そして教授は出張なため矢面に立った助手に凄く恥をかかせたのだ。確信犯でやっているとしたら、怖くて二度と近寄れません・・・。まぁ、発表事態はさすがに俺は見ていられなくなって、研究室の方に引き籠もっていたけどね。

 それより問題は、卒論生Hの方である。なんつうか、データ渡して、グラフ描けないっていうから描いてやって(描き方教えてる時間が勿体ないから)、スライドも付け焼き刃にも成ってないのでスライドも一部やって、と色々と私から拝借していった卒論生Hである。しかし、発表練習を行った際に私も同時にやっていた為、「大体の言葉の使い方は俺の見て分かっただろう?適当にアレンジして使え」と言っておいたら。プレゼンの喋り言葉までコピーされました。前日私が言った「アレンジして〜云々」という点に考えは全く至っていなかったようで、というか自分で考えるのがこれほど嫌いなヤツは見たことが無いねぇ。

 まぁ、どういう状態かはともかく、これで卒論生も一息がつけるというものだ。


Feb.23,2001 (Fri)

 朝8時、マスターの同期Yから電話がかかってきた。取りあえず今日は「朝から最後の練習をしておこう」と前日に約束をしていたので、なかなか早い時間ではあるが起きて研究室へ行かねばならぬ。眠い目をこすりながら忘れ物をしないように部屋を出、テクテクと大学にまで歩いて行く。

 で、大学に到着し、しばし待つ・・・・・・・・・・来ない・・・・・・・・・やっぱり来ない。で、件の起こしてくれた彼が来たのは9時頃だった。これでは練習に当てる時間なんてありゃしない。先に準備をすべく、プレゼン用の機材を持って会場へ向かう。会場では、世話役の研究室が既に準備を整えており、トップバッターの同期TがプロジェクターとPCのチューニングをしていた。彼は使わないのだが、我々は発表にVTRを使うプロジェクターに取り付け準備は完了した。

 入試絡みでのせいで、非常に離れた講義室が発表会場なので、客の入りが非常に少ない。まぁ、実を言えばそこが「望むところ」であり、更に世話役の教授から色々と事情があるので、発表20分+質問10分の計30分の時間を守るようにとのお達し。私は同期のYと「ニヤリ」と笑いあった。質問時間が、”質問が出る限り続く”では無くなった瞬間だったのだ。

 途中経過は省くとして・・・私の出番がやってきた。結局練習は一昨日やったきりであるが、スライドさえ在れば幾らでも話はできるからそれほど問題でも無い。まぁ、秋の学会連荘のせいで慣れたおかげなのだがね。

 発表が始まる。教授に指摘された「発表中体をユラユラと揺らすんじゃ無い」という点だけを考えていた。とにかく声を張り、なるべく分かり易くゆっくりと、そして時間調整用の適当な内容は、そこそこ早口で済ませる。いつものように喋って、ある程度進んで気づいた時には予鈴が、そのまま適当に進めて本鈴が鳴る。本鈴が鳴ってから約1分ほどで発表を切り上げた。さぁ、質問の時間だ。

 質問は、私の修士論文の主査の独壇場というか、その教授しか質問してくれなかったのだ。一応副査の助教授が質問して来たのだが、なんつうかむっちゃ簡単という仕様の確認程度の質問だった。その質問が終了後、修論主査がまた質問を続ける。そして、私があんまし触れられたくない内容の質問を聞いてきた・・・・適当な事を言ってとぼけておいた。そうこうしている内に時間になり、発表は無事終わったのだった。

 件の質問に関しては、私的には答えたくない内容だったのだが、tnkさんから「アレは別に話したって構わない」と言われた。まぁ、例えそういう考えに至ったとしても、キチンと答えを用意していなかったので、結局とぼけたかもしれない。そんで私の発表中の客観的な意見として、「なんか芝居がかってた」とか「話し方に妙な節が付いてる」とかと、概ね好評(?)だった。

 こうやって私の修論発表は穏やかに修了を迎えたのだ。

〜そして打ち上げへ〜

 卒論・修論と無事終わり、私を含む一部の人は学会発表はしないので、コレでほぼ終わりである。他の人も学会発表があると言っても、二度目なので大丈夫でしょう。

 とにかく発表が終わったという事で、打ち上げを行った・・・・と言っても4人でやった訳だけどね。メンバーは俺とtnkさんと、修士同期Yに卒論生Wである。修士同期Yは件のVFRに乗る可能性が無い訳じゃ無い彼で、教習所で予約が入っていた為に途中参加と相成った。”安平”までテクテク歩き、3人で飲み始める。飲み始めたらもう、出るわ出るわ文句の数々。後に修士同期Yも加わり、色々あった事に関して情報を交換した結果、最終的に「アレはダメだ」という結論に至る。主語は省いたが、何のことかはわからないでも無いだろう。


Feb.24,2001 (Sat)

 今日は土曜日、車校復活である。

 今日のところは二時間ほど乗った。AT教習とかいうヤツで、ATで教習をするだけというもの。で、車種がランサー・・・狭いよ俺には。なんつうか、ボンネットのボリュームは小さいから比較的手前がよく分かるのだが、ヘッドスペースの絶対的な差が出る。それに、ブレーキとアクセルが近くてMTのコロナより気をつかってしまう。

 運転者にさせる動作が少ないから、此方の方が余裕があるのだが、やっぱりシフトチェンジが無いとモノ寂しさを感じる。


Feb.25,2001 (Sun)

 日曜の朝から教習所へ行く。8:50開始のホントの1時限からだ。昨日、教習所帰りに隣にオープンした\100ショップにて目覚まし時計を2個買い、時間差で仕掛けていた為に何とか起きることが出来た。問題は、学部・大学院と散々寝坊で色々と起こしてきた私だが、大学というメインの事に関してこんな事をしていなかったという事実。う〜ん、やっぱり期間が限られているというのが効いているかなぁ。

 まぁ、とにかく起きて車校へ行ったのだ。そして乗った。今日は普通に乗った後、無線車とか言う1人乗りの教習があった。まぁ、無線で「ああだこうだ」の指示通り乗るのである。何より1人というのが良いし、ついでに言えばクラウンセレクト(タクシーとか教習専用車種、日産だとクルーとかがコレに当たる)なのでFRだ。ただ、今まで乗っていたコロナとはちょいと違うので、戸惑う人も多いとの事。その主な原因はクラッチが軽く、半クラの位置が掴みにくいとの事。案の定、同じ車で前を走っていた女の子がエンストしまくりだった。つうか、アクセル踏まずにクラッチ繋げばそうなるのは当然であって、普段の教習車が楽過ぎるのが問題だ。もう、「おとなしくAT免許にしておけよ」という連中が沢山居るんだよ、教習所にはさぁ。見栄でMT免許取った所で、ATにしか乗らない連中ばっかりじゃ無いか。

 教官と女子高生とちょいと先の事に付いて話して居たのだが、女子高生がMT免許にした理由が凄い。なんと「格好いいじゃん」である。わぁお♪聞いた教官は吐き捨てる様に、「どうせAT乗るんだろうが」とぼやいていた。同じく私も聞かれたのだが、私は明確にこう答えた。「押しがけ出来ない車には乗りたくないんです」だ(笑)ふっ、どうだコレには教官もケチをつけれまい。まぁ、買った車で押しがけ出来るかどうかはまた別の問題だが、普通の車なら大丈夫だろう。経験あるし。

 あ、そういえば前期日程の試験が今日だったな。


Feb.26,2001 (Mon)

 大学入試の前期日程二日目だ。俺には遠の昔に関係なくなった事だ。

 今日も今日とて自動車学校・・・なのだが、取りあえず大学へ行く。教授に話があるからだ。今日を逃すと、次は3月5日まで教授は居ないのである。メキシコに出張だそうで、学部長室へ行ったらトランクが置いてあった。ただ、教授との話は結構こんがらがった、TA料の話なのだがここまで拗れるのであれば、もう貰わなくてもいいよ。とにかく、此方に不利な条件が重なり過ぎてる。金のことでゴチャゴチャとするのはイヤなのだ。くそぅ・・・他国に行って適当に金をばらまくくらいなら、追加予算ぐらい出しやがれってんだ。>日本政府(特にお気楽俗物ぶりをさらけ出してる某首相よ)

 今日の車校一発目はお昼前にあった。取りあえず行って乗って、また大学に戻ってきた。続きは昼過ぎからだ。その昼過ぎってヤツを私が時間を間違えていて、遅刻&キャンセルの憂き目に遭う。しかし、次の時間に入れたので良かった・・・。教授の車使って送ってくれたtnkさんに酷い迷惑をかけた・・・反省。

 しかし、かなり厚かましい私は空いた時間で眼鏡を買いに出た。そう、眼鏡である。この私が眼鏡を掛ける事となろうとはねぇ(^_^;)

 私の現在の視力は、ボーダーラインから少し下なので眼鏡無しでは仮免を交付して貰えない。しかし25年も生きてきて、初めてなんだぜ?三年前は1.0以上あったんだぜ?あー、何で眼鏡なんて掛けなきゃならんのだ。

 研究室の後輩Wに聞いた店で眼鏡を物色。検眼してみると、私が思っていた以上に視力が落ちているという事が分かった。なんか、論文書いていた間にまた下がったんじゃ無いのか?と疑いたくなる。しかも、単に視力低下だけでなく、乱視も入っているとの事。くそう、自前の水晶体の補正が必要になるとは。もっと眼肉を鍛えなければ・・・。

 取りあえず、普通のヤツを買った。なんかブランドが付いていたが、そんな事は知ったことじゃ無い。実を言えば川崎和男デザインの件の眼鏡に興味があったのだが、こんな所じゃ置いてる訳ねーよなぁ・・・当然置いてない。普通に眼鏡を掛けると、どうしてもフレームが視界の邪魔になる。そこで境界面がキッチリ仕切られないフレームレスの眼鏡にしようかと思ったのだが、丈夫なヤツにしようとすると、どうも予算オーバーしてしまう。結果、上半分だけにフレームのある普通のヤツにしたのだった。

 コレだったら儀体化(いや・・・単なるコンタクトレンズの事です)した方が良かったかなぁ。


Feb.27,2001 (Tue)

 暫くは車校のネタばっかりですよ。 昨日だけに留まらず、今日もtnkさんに迷惑を掛けてしまった。二日続けてとは・・・私もヤキがまわったというか、情けないというか、tnkさんが送ってくれたおかげで間に合ったのだが、担当の教官にも迷惑を掛けてしまった。とにかく反省。

 今日は”みきわめ”が有り、それに通ったので明日仮免の試験が受けれる事となった。仮免許かぁ・・・取りあえず2月中には路上に出ねばと思っていたが、ギリギリなんとかなりそうかなぁ。


Feb.28,2001 (Wed)

 二月最終日である。忘れていたのだが、2月は28日までしか無かったんだ。今日は朝から仮免試験(修了検定)である。朝の早くから車校に行って、コースが発表になるのを待っていた。コースが張り出された後、ジッと見入りながらシュミレーションをしていると、受付の女性が「憶えなくても良いんですよ」とか行って来た。そんな事は百も承知である。コース内走行は、アレコレとやることが多いから忘れない様にシュミレーションしていただけである。

 そいで試験開始である。今日の受験者は3名で、私がトップバッターである。巡り合わせが良くないなぁ・・・とも思いつつ、始める。幾つかポイントとなる所があったのだが、特にミスもせずに終わった。安全確認も忘れたとも思えないので、多分順当に行けば合格するはずだ。そして、次の人が行い。最後の人がやるときに私が同乗した。大学生の女の子なのだが、やたらとLで走っている時間が長い。加速はするものの、なんせLの範囲だからスピードの出ようも無く、取りあえずは普通に終わった。で、そのあとやたらと待たされた挙げ句に結果発表。当然”合格”で、落ちたヤツは居なかった。二人目のヤツは脱輪していたくせに、よくもまぁ受かったものだ。関心である。

 技能に受かれば、次は学科試験である。コレも難なく通った。仮免の発行は夕方になるとの事。それまでは2段階の学科を受講する事にした。

 夕方、仮免が交付されようやく中間ポイントを経過できた。が、担当の教官は、何とこの後に配車予約を入れており、仮免許発行後いきなりの教習である。最初の1時間は縦列駐車とか、方向転換をやっていた。そして、最後の教習時間である7:40から路上へ出た。雨は降ってるわ、夜中で見難いわ、朝から来ていて疲れているわで、なかなか条件が厳しかった。コースとしてはかなり単純で、端っこまで行ってバイパスを通って帰って来ただけである。それでも雨の夜中は走り難かった。


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