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Sep.1,2000 (Fri)
実家に帰っていましたので・・・・
Sep.2,2000 (Sat)
実家に帰っていましたので・・・・
Sep.3,2000 (Sun)
実家に帰っていましたので・・・・
Sep.4,2000 (Mon)
大栄町関係の用事がありましたので・・・
Sep.5,2000 (Tue)
今日も、大栄町関係の用事がありましたので・・・
Sep.6,2000 (Wed)
時間がとれるようだったので、連れと『ホワイトアウト』を観に行く。
なんとまぁ・・・思っていた通りの作品で、日本映画にしてはよく頑張っている。
が、「日本映画にしては・・・」等という言葉を使わなければならないのが、非常に不満でもあるのだが。でもまぁ、織田祐二ダイ・ハードだし。
Sep.7,2000 (Thu)
なんか色々と準備していたような・・・でもよく憶えていない。
Sep.8,2000 (Fri)
なんか色々と準備していたような・・・でもよく憶えていない。
Sep.9,2000 (Sat)
◇宇山洞1日目
穴に向け鳥取を発つ。
当初の予定では、広島・大阪・鳥取各組の完全現地集合だったのだが、
結局土曜にあまり時間を取られなかったので、広島組と一緒に行く事になった。
大阪組の一歩さんとは、中国自動車道北房インター付近で合流の予定だ。我々の”願い”虚しく、雨が降る降る。
今回入洞予定の穴は「流入型」であるので、雨の影響をモロに受ける。
下手をすると、洞窟の一部が水没してしまうのだ。
まぁ、水没したって日坂ほどの危険性が有る訳じゃ無いのだが・・・。
しかし、せっかく『穴組』という組織を立ち上げて初の組織行動だからなぁ、余計な心配はさせて欲しくないね。そうこうしているうちに岡山侵入、新見に近づき北房に入る頃には雨は上がっていた。
依然として雨雲は立ちこめているものの、私が心配するのは降水量なので、降らなければ良い訳だ。
北房インターに着くと一歩さんがZZ-R/250に上着を干していた。どうも中国道で降られたらしい。
コレで今回の企画参加メンバーが全員揃った。
が、この後HAL90とその車に乗るいあは、HALの保険絡みの用事でそのまま新見市へ向かう。
我々は一歩さんを伴い満奇洞へ。満奇洞へ至る路は長年通っているので・・・・と油断すると道路工事で別の路を通ることを余儀なくされる。
つったく、一体いつまで工事すれば気が済むんだ?
だいいち、俺が新見に通いだした頃からずっと彼方此方と工事してるじゃねーか?
雨がパラつく山の中を、グルグルと迷わされてようやく満奇洞へ。満奇洞に着いたものの、雨が降る中で屋根も何も無い所ではちょっとイヤなので。
東屋のある、別のスポットへとねぐらを移す。その先は・・・・羅生門!羅生門と名付けられた景勝地なのだが、昔はメジャーでも今は来る人も少ない。
しかし、地図に必ず載せられているためか、たまーに余所から人が来る・・・・そんな場所である。
で、それほどというか全く迷わずに着いたがいいが、買い出しがまだであった。
取りあえず私のソロテントを立てて、その中に一歩さんの荷物やクライミング装備その他を入れ、tnk(田中)さんの車のリアシートを座れる様にした。
そして車で買い出しに出かけたのだった。さて・・・晩飯はどうしよう・・・と考えていたのだが、結局適当に素早く作れる冷凍食品を買って行くことにした。
酒は各自が飲む分をそれぞれ購入。
晩飯の内容を決めるのに時間がかかっていたせいか、この買い出しポイントでHALといあとの合流を果たす。メンバー全員で羅生門へ着くと、早速飯の準備にとりかかる。
tnkさんの持ってきたのは、コールマンのガスストーブ。
私が、プリムスのガスバーナー&ランタンのセットと、トランギアのアルコールバーナーを持参。
火器総動員で夕食を作る・・・・・早し!
しかし、よくよく考えてみると、三つある火器はそれぞれ全く違い、燃料その他の互換性は全く無し。
改めて気づいて大笑い♪でもさぁ、やっぱり俺ってトランギアのアルコールバーナーが好きなんだよぉ。その後は、飯を五人でつつきながら酒をかっ喰らう。
HALといあの二人は途中でコンビニ弁当を喰っていたのだが、食い物を目の前にして何も出来ないのも哀しいので一緒に喰っていた。
ああ、多めに買い込んでいて正解だった。tnkさんがテントを忘れたので、tnkさんと一歩さんは東屋の下で直に寝ることに。
私は、いつものソロテントで寝た。
どうも寝付きが悪かったのだが、最後に時計を見た記憶が二時前だった事を考えると、一時間ぐらいで寝ていたようだ。
Sep.10,2000 (Sun)
◇宇山洞2日目
朝、隣でガサゴソと音がするので、ちょっと目を開けて時計を見ると6時前。
まだちょっと寝れると思い、そのまま寝出すも尿意に負けて一度起きる。
トイレへ行くためにテントを出ると、tnkさんは蚊の攻撃から逃げて車で寝ていた。
一歩さんは、逃げる先も無いためか既に起きていた。
寝起きの不機嫌面でトイレへ行き、戻ってまた寝てみるもあまり寝れない。
ウトウトとした後に起きることにした。
起きると、一歩さんを誘って散歩へ出る。
すぐそこだからと、羅生門を見に行った。羅生門から帰ると、HALの車で寝ているHALといあを起こすため車を揺らした。
グイグイと揺らし続けると、直ぐに起きてきた。tnkさんも起こして、早速朝食に取りかかる。朝食は、ウインナーと目玉焼きと食パン&一歩さん提供のコーンスープ。
朝からキッチリ食すのは、アウトドアというか行動の基本である。
このメンバーだったら、朝からきちんと喰ったのは非常に久しぶりなハズである。
これから体力を消耗するような事をするのだから、絶対に必要な補給なのである。一度満奇洞へ移動した後に宇山洞へ。
なんというか、私が路をきちんと憶えているかが不安だったのだが、取りあえずミス@で到達する。
まぁ及第点であろう。
それと、これからは後続車があるときは首を傾げるのは控える事にしよう。宇山洞前の駐車場・・・といっても狭い上に、それ以外は何もない所で準備開始。
初めて洞窟に入る人が二人居る上に、初めてウエットスーツを着るために結構大変であった。
装備点検の後に入洞開始!入洞は比較的スムーズに進む。
宇山洞は展開が早く、距離も短いのでゆっくり進んでも十分に時間はあった。
早速と言ってはなんだが、とっとと難所を迎える。
難所と言っても私が以前所属していた探検部であれば、道具無しで行ってしまう部分だ。
初心者にイヤな恐怖心を与えないためにも、ここは道具を使う。
たかが5mのラダーだが、心理的効果は大。
いきなり初めての道具を「降りろ」と言われるのと、
底が見えない足下がよく解らない岩のルートを「降りろ」というのと、
2つを比較した場合、外見が梯子的であるワイヤーラダーの方がマシというもの。
という訳で、以前日坂でラダーを経験させたいあから降ろす。
もちろんHALも経験者であるのだが、パニックを起こした際に多少でも柔軟性を求められるいあから降ろした。
もちろんケービングロープでの確保もしながらだ。
そして次はtnkさんである。
多くは無いが山を経験しているし、一歩さんを量りかねたというのが本音。
であるから、同じ初心者でも一歩さんの方により多くの安心感を与えるためにtnkさんを先に行かせたのだ。
そして、一歩さんを降ろす。
この人も山の経験がある人なのだが、私との接点がnet中心なために一番余裕のある番にした。
そしてHALを下ろし、最後に私が確保無しで降りた。この難所というにはちょっと・・・という部分を抜けると、高低差による危険度はグッと無くなってしまう。
この後に問題になるのは水である。
その後はただひたすら・・・的に最深部めがけて進み続ける。
支洞らしい支洞が無いのがこの洞窟の特徴でもある。
誰をトップに据えても迷うことはまず無いので、適当にトップを変えながら進む。ようやく立って歩かないポイントがやってくる。
ここから先はあまり距離が無いので、背負った荷物をデポして体ひとつで先に進む。
水くぐりというには短いが、確実に水たまりを這いずるポイントにやってくる。
こういうポイントばかりは私がトップを行く。
顔半分を水に漬け、ズルズルと這いずって先へ行く。
出た先でヘッドランプの灯りでガイドかつ指示を出し、全員を通した後にまた隊列のケツへつく。
さぁ、最深部まではあと少し・・・・。最深部へ向かっていた所、また水をくぐらなければならない場所が出てきた。
前進が止まったので、私がトップを入れ替わる。
取りあえず水の中を進むが、開ける手前が水没しかかっていた。
さて、私はここを通ることが出来るが他のメンバーはどうだろうか・・・。
上の岩との間は3cm程度・・・しかも平らではない。
たかが1.5m程度の通路だが、状況的に恐怖心を煽るには十分である。
訓練を兼ねるにはあまり良くない場所であったので、前進を止めることを決定する。
取りあえずその旨をメンバーに話し、その場で小休止をとる。
その後、荷物をデポした位置へ戻り行動食を食べる。さぁ、引き返しである。
ラダー設置位置までスムーズに戻った。
まずは私がそのままラダーを登り、トップロープでの確保を行う。
まずはtnkさんが、通常上り下りをしているルートから上り始めた。
下りと違って上りの方が楽である。
あまり時間を掛けずにtnkさんは登ることが出来た。
次に上り始めたのはいあである。
体力的に不安を感じたのか、ラダーの方を上ってきた。賢明な判断と言える。
次が一歩さんで、最後にHALが岩のルートを上ってきた。
二人ともそれほど時間を掛けずに上ってきた。
入洞から三時間、既にある程度は慣れているだけの事はあった。クライミング装備を片づけ、外へと向かう。
洞口の光が見えた。
緑が眩しい・・・・。
洞内である程度の時間を過ごし、洞内の環境に慣れた体には外は刺激溢れる世界なのだ。
取りあえずは無事に出洞できた事を喜ぼう。
メンバーに提出して貰った誓約書を返し、私の責任は終わったのだった。
Sep.11,2000 (Mon)
やっと起きたつもりが二度寝をしてしまう。目が再び覚めたのは昼だった。
大学へ行くと誰もいない・・・あ、助手が出てきていたか。
必要な事を適当にこなしてゆくが、あまりはかどらない。
Sep.12,2000 (Tue)
十時に研究室で待ち合わせをし、tnkさんが来たのと同時に砂丘へ向かう。
砂丘での予備実験があるからだ。雨は相変わらず降り続けているので、実験に入れない。
雨の中でダラダラと実験の準備をするのもおつなものだ。
Sep.13,2000 (Wed)
雨が降るかと思っていたら晴れた。
ようやく実験ができる。とにかく実験をすませて、その場(砂丘)で報告書を製作し始める(因みにこんな場所でね・・・命名「砂上のオフィス」)。
実はこの実験、遠の昔に終わっているはずの実験である。
教授に催促されて、土壇場のやっつけ仕事なのだ。はぁ、取りあえずできて良かった♪
なんてぇか・・・・屈辱の日である。
win2k上のMSオフィス97の挙動が異常である。
この異常を取り除くために、遂にMSオフィス2kを導入せざるを得なかった・・・・。「こ、こんな屈辱を・・・」
などと研究室でぼやきつつ、インストール作業へ。
我がThinkPadのCドライブは、なんだかんだで必要なアプリ+使ってみたいアプリを入れているために余裕が無い。
だからといってDドラにインストールするのは、ポリシーに反するので、泣く泣く花子9を削ってインストール。
当初PowerPointのみをインストールしようと思ったのだが、別のディレクトリを指定したにも関わらず旧バージョンを削除しにかかる。「出来ないなら妙な選択肢出すなよ!」
とひとりPCに罵声を浴びせながら、上書きインストールに変更。
もちろん細かな妙な機能やファイルはインストール段階ではねる。
もちろん立体イルカは真っ先にインストールチェックから削除。「・・・・・・・・・・・・・・」
っとしているうちにインストール終了。取りあえず立ち上げてみる。
レイの97で出ていた不具合は無くなっていた。
まぁなんとか実用速度は出たので、暫くはこのまま使っておこう。あれ?コレってば昨日の事だったけか?
Sep.14,2000 (Thu)
結局間に合わず・・・・ゼミで赤っ恥をかく。
詳しくは掲示板を見られるがよかろう。更に・・・というと何だけど、教授より矢継ぎ早な催促。
更に報告書・・・というか調査報告を二件追加された。
なんか最近普通の大学生から、忙しい大学生に移りつつあるなぁ。
年度当初に怠惰な大学生から移籍したばっかりだというのに、コレじゃまるでごく普通の大学院生ではないか!
今年で修了するなら当たり前か・・・。
Sep.19,2000 (Tue)
◇学修羅怒濤@
『九月中旬学会修羅場怒濤の四日間』
今日が最後の教授チェック日である。
いきなりコレを読んでる人は、何の事だか分からないでしょうが、この九月というか数日後に控えた、日本砂丘学会で発表する内容についてである。
発表内容に関しては以前よりやってきた事で、十年に及ぶ継続研究であるから、既にある一定の定型ができている。
しかし、状況によって発表の仕方が微妙に変わってきているから、それはそれで面倒なものだ。で、教授チェックなのだが、結果は燦々たるものだった。
なてぇか、発表する三日前に出されるダメだしでは無かった。
内容のかなりの部分を修正するように言われてしまったのだった。
私的にも、「コレはちょっとなぁ」とは思っていたが、まさかここまで言われるとは思っていなかった。
しかし、ダメだしされてしまったものはしょうがない。
ここから怒濤の修正を行わねば・・・。と、思ったのもつかの間であった。
この後は、我が研究室の陳&韓の手料理による宴会であったからだ。
料理作るのを手伝って、そして宴会に突入して酒をかっくらって、いい加減作業不能。
それでも多少の作業をやった後に、自宅へ帰った。
Sep.20,2000 (Wed)
◇学修羅怒濤A
『九月中旬学会修羅場怒濤の四日間』
今日が最後の作業日である・・・にも関わらず十時ぐらいまで寝てしまった。
ここ最近、そこそこ寝ずにやってたせいか、どうも疲れてたのかな?取りあえず大学に出てって、OHPの製作にとりかかる・・・もののなかなか進まない。
そうこうしているうちに、とっとと夕方が来る。
おっと、クリーニング屋からスーツを出して来なければ・・・。
一度スーツを取りに戻り、再び大学へ。
いい加減印刷を開始しなければならないので、出来ている分から・・・といっても9割がたできていたのだがね。
とりあえずその分を印刷する。
時間が勿体ないので、講座所有のカラーレーザーを使った。
が、このエプソンのLP8000c・・・あんまし反応良くないなぁ。
以前はもっとサクサクと印刷できたのに、やたらと時間を喰う。
トナーの状態とか結構関係あるのかなぁ。前使ったのは、導入直後だったからねぇ。
まぁ、そんな事はどうでもいいのだが。印刷を終わり、tnkさんが来てしばらくすると、やっと最後の一枚が出来た。
このとき既に十一時を過ぎていた。
やっと出来たので、tnkさんは最後の私は修正後最初の発表練習をする。
なんとか出発前日に、公開予定の内容で練習ができた。
とっとと帰って、出発の準備をせなばなるまい。
出発は明日の予定である。
学会が行われるのは唐津、佐賀県まで行かねばならないのだ。
Sep.21,2000 (Thu)
◇学修羅怒濤B
『九月中旬学会修羅場怒濤の四日間』
とうとう出発の日だ。
昨日より何となく体調が悪いのが気になるのだが、今日は丸々移動に費やすのだから、あまり気にしなくてもいいだろう。tnkさんの車で、二人で九州は唐津までの旅である。
ご存じの通り、私は普通免許などという気の利いたものを持っていないので、運転はtnkさんがひとりでおこなう。
まぁ、遠乗りには慣れている人なので、あまり心配は無い。
朝の8時半に合流し、コンビニで朝飯を買い込んで高速道路を目指して走りだした。
が、ここで体調の悪さが現実のものになる。
朝飯として喰ったのは、コンビニおにぎりひとつ・・・別段おかしく無いとお思いかもしれないが、私を知る人ならおかしいと思うだろう。
そう、体調が普通なら、朝からコンビニ弁当のひとつくらいは平気で喰えるのが私なのだから。
まぁそんな事を出発してから気にしたってしょうがないのだ。
起きていれば、大抵の体調の悪さなど昼には治ってしまう。砂上の楼閣県を脱出する峠に差し掛かった頃だろうか、今まで学会の忙しさで忘れていた用件を思い出したのだ。
それは・・・内定先の会社の社内報の原稿依頼だった。
自己紹介文を出さなければならなかったのだ。
しかも期限が、九月二十一日必着と来ている(笑)救いなのは、e-mailでの提出だということだ。
つまりだ、タイムスタンプは二十三時五十九分ギリギリまであるという事。
これは、解釈の問題かも知れないが、厳密に書いていない以上そうとっても構わないであろう。
というものだが、問題はモバイル環境なんて持って歩いていないということだ。しかしだ、私にはもう一つのモバイル環境がある。
それは・・・携帯電話”モバイルホン”である。
といってもWAP端末の事じゃ無い、純粋に話す為のアナログなモバイルホンの事だ(誰が10キーなんぞを使って文章なんて書いてやるものか!)。
コレで直接コンピュータを前にした人間に指示を与えてやるのだ。
そうと決まれば、とっとと文面を考えなければなるまい。
色々と考えるのだが、あまり思考がまとまらない。
このときは「なんでか?」とか思ったのだが、明らかに思考が鈍っていたのだった。昼前にはとっくに高速に乗っており、ひたすら西を目指す。
”モバイル”タイピストとして葵ちゃんを確保、事情を説明して会社のサイトにアクセスして貰い、メールアドレスを調べて貰うように要請した。
その間も考えていたのだが、思考の鈍りはすでに頭痛に変わっており、体調は明らかにおかしかった。
言葉数が少なくなるというよりは、押し黙った状態になってしまっていたのだ。
とりあえずとあるSAで昼食を取ったのだが、うどんを食うのが精一杯だった。
しかも喰うのにやたらと時間がかかる。どうにも・・・疲れていくのだ。
昼過ぎに一度葵ちゃんに連絡を入れ、さわりの文章を打ってもらう。
が、続きが書けない。そのまま頭痛の鈍い痛みを感じつつ、車は西へ。夕方近くなって九州上陸、ここで再び葵ちゃんに続きの文章を打ってもらう。
このとき私は既にグッロッキーで、ただ寝ている様な前をぼうっと見ている様な状態。
とにかくこの厄介な用件を終わらせた事で少し気が楽になった。太宰府でようやく高速を降りると辺りはとっぷりと暮れていた。
福岡市街を避けてルートを選択するものの、唐津側へ向かう福岡市内はろくな主要道が無いので、結局は混雑していた。
このときはもう、意識が・・・というか起きていると辛いので、半分は寝ている状態だった。
なんか切れ切れにある記憶では、混雑した福岡を抜けてからそう時間を掛けずに唐津に到着していた。学会会場であるホテルは虹ノ松原にあるので、直ぐに見つける事が出来た。
さっそくチェックイン・・・するわけもない。
安く上げるために我々はテントでの宿泊である。
会場から5分と離れて居ない場所にキャンプ場があるのだ。
が、夜中なのでなかなか見つけられなかったけどね。
私の体調がどんどん悪化しているので、コンビニで晩飯を買い込みとっととキャンプ場へ。
私はテントを立てると、そうそうに寝込んでしまった。
tnkさんも近くに立てたテントで、ひとりゆっくりと晩飯&晩酌をしていた様だが、私には興味を持つ気力もなかった。
一度寝入ってから、二時間ほど経った後に起きたときには、tnkさんもテントに引き籠もっていた。
Sep.22,2000 (Fri)
◇学修羅怒濤C
『九月中旬学会修羅場怒濤の四日間』
発表当日である。
朝起きてテントの外に出てみると、tnkさんのテントが離れた位置へ変わっていた。
理由を聞くと、うなされているような不規則な鼾が非常に不気味だったので離れたそうだ。
まぁ、案の定というか体調は変わらず・・・相変わらず頭が重い。
テントを撤収し、朝食を取りに海辺へ移動。朝食を取った後に、会場入り。
会場のホテルにチェックインしている助手に連絡を取り、部屋でスーツに着替えた。
プロジェクタの設置や学会受付を済ませて、暫くはソファーで横になって休む。
tnkさんが色々と先にやってくれたので、普段ならわたしが仰せつかる雑多な事から解放されていたので有り難かった。
そうこうしているうちに、研究発表会が始まる。
私は第二会場の第二セッションの二番目である。
というか、うちの研究室の連中が第二セッション始まりから三連荘なのだがね。
自分たちの番が来るまでは、しばし休息・・・。第二セッションが始まる前には、教授も会場へやってきていた。
助手かtnkさんが言っていたのか、私の体調が悪いことを知っていた。「調子どうや?」
「あ、いや・・・」
「どんな状態や?」
「頭痛がするのと、あと下痢がひどいです」
「・・・ストレスだな」
(そりゃなんだってストレスは原因になるだろうよ)
「薬やろうか?」
「あ、はい、頂けるなら・・・」
「大丈夫か?」
「取りあえず、発表の間くらいなら持ちますので大丈夫です」
「・・・そうか」等という遣り取りをしているうちに、第二セッションが始まる。
トップがtnkさんなので、私はビデオ係として持ち場に戻った。
tnkさんの発表はスムーズに行き、ビデオも無事流れた。そして、私の出番が来た。何というか、次のビデオをセットして、OHPを持ってスクリーンの前に来ると、既に座長が私の番を読み上げていた。
私は最初のOHPをセットするのもそこそこに、発表を始めなければならなかった。
それでは・・・という私の声から発表が始まったのだった。結局、最終形のOHPを作ってから最初の練習以降は練習をやっていない。
いくつかの頭に刻み込んだポイントを思い出しながら進めてゆく。
頭が結構アレな状態なので、ちょっと間違えて説明してしまっていたりしたのだが、聴衆にはそんなことは分からない。
しかし・・・教授は気づいていたんじゃないのかなぁ・・・。
まぁ、そんな状態で進めていると12分経過のベルが鳴った。
どうも練習より時間がかかっているようだが、このまま最後までやってしまえば質問時間を削れそうだった。
予定より少し長めの時間を使い、発表を終えた。質問は・・・来た。
「さ〜て、誰かなぁ・・・」と、思っていたら鳥大の先生だった(-_-;)
聞かれた内容は、いつか聞いたような質問であった。
しかしだ、頭が回っていなかったせいでろくな答えが返せなかった。
色々と話をしているうちに時間が過ぎてしまい、終了を告げるベルが鳴る。
座長はそれを聞くと質問の途中であったが、発表を終わらせた。
終わった後は質問した先生が教授の後ろに座っていたので、教授が直接答えていた。
やっと終わったのだ。私が終わった後は、同じく助手の発表が始まった。
まぁ、私は何度か聞いている内容だったので、面白くもなんともなかったけどね。助手の発表が終わると昼休憩である。
取りあえず我々はプロジェクタの撤去をし、昼休憩に入った。
取りあえずは飯だ・・・が学会で出された弁当の五分の一も喰えなかった。
弁当を食い終わった後に色々と悩んだのだが、結局tnkさんのすすめる通り先に帰る事にした。しかし・・・問題がある。
現在の所持金が僅かに二千円程しかない。
しかも、東唐津駅に来たのはいいけど、付近にキャッシュディスペンサなんてありゃしない。
しょうがないので、現在の所持金でとりあえず博多まで出ることにした。
博多までは東唐津より\1010で行ける。
JR筑肥線と福岡市営空港線で80分程だ。
途中で乗り換えが一度あり、乗り換えた先の電車はそのまま地下鉄になってしまうのだ。電車を待っていると雨が激しくなってきた。
時間が経つほどに激しさを増し、しかも雷with稲妻のおまけ付きである。
もう集中豪雨と見まごうばかりの激しさであった。
それでも電車はダイヤ通りに動いてくれていたのでよかったがね。
あまりというか非常に空いていたので、短い座席に座るとそのままゴロンと横になった。
このときの私の恰好は発表終了時そのままのスーツ姿だったので、疲れ切ったサラリーマンといった状態。乗り換えをすますと今度は地下鉄になる車両であった。
ここから先は、そこそこ人が乗ってきたので寝転がる事も出来なった。
特に地下鉄になってからは、やたらと乗車量が増え隣の席にも人が座るようになるほどだった。そう思っているうちに博多に到着。
JR博多駅を目指し歩こうかと思っていたら、殆ど離れていなかった。
だったら地下鉄博多なんて記述のしかたするなよ(-_-;)
博多駅到着後、最初にやったことはキャッシュディスペンサーを探す事だった。
このときの私の財布の中身は音の出るお金しか入っておらず、心許ないこと甚だしい。
少し歩き回って佐賀銀行のCDを発見!やっとこさ実弾の補給に成功したのだった。色々とやっているけど、相変わらず頭は痛みでよくまわらず、
なんとか”スーパーはくと”(JRの京都〜鳥取間を走る特急)の姫路での発着時間を調べ、
それを元に新幹線の時間を調べキップを買った。
適当に駅員と遣り取りして買ったので、後で見ると新幹線は指定席だった。
このとき買ったひかり374号の発車時間までは結構余裕があったので、その辺の売店で適当に時間を潰す。入線時間の5分前に改札を通り、プラットフォームへ出る。
博多駅を利用するのは初めてだが、周りを観察している余裕もなくただただ足下を見て苦しさを我慢する。
そうこうしているうちに私の乗るひかりが入線してきた・・・・・・が、私は目を疑った。「なんだありゃ?」
私が見た先には、カモノハシ系なシルエット。
パッと電光掲示を見上げると、そこにはRailStarの文字が・・・。
どうもひかり374号はRailStarだったようだ。
このRailStarの特徴は、カモノハシを彷彿させるマスクと、四角な断面の歪な繋がりとでも言おうか。
最高(営業)運転速度が283km/hと結構速い。
そういうことを一瞬思っただけで、体調の悪さに好奇心を削がれてしまった。
取りあえずは座ってしまおう・・・と思って、指定席へと向かった。
車内に入って一番驚いたのは、新幹線のくせに二席二列のシート構成だったということだ。「うわぁ」ってなもん。
通常の車両だったら、グリーン車に乗らないとお目にかかれないシート構成だ。
シートそのものもしっかりしており、サンダーバードの様な無惨な軽量化のあとなんぞはこれっぽっちもない。
しかも、私は偶然先頭列だったために、ノートPC用の広めのテーブルと電源ケーブルが付いているではないか♪
久しぶりに乗った最新車両にちょっと面食らってしまった。
だが、そんな興奮もたかだか数十秒で終わり、再びダークモードへ。
とにかくRailStarの座席は寝るのに十分な能力があったことには間違いない。姫路で新幹線を降り、はくとへ乗り換えるべくJR在来線へと向かう。
ここのホームで駅ソバを喰らう・・・・マズイ。
そういえば・・・というかいつもの癖で、はくとに関しては自由席を取ってしまったのだ。「姫路じゃ座れねーな」
今さながら気づいた事だった。
はくとが入線してきて私の脇を通ると、案の定席はまばらにしか空いていない。
そして私の前には、乗車する人間の列。まず間違いなく座れない。乗車し、無理なことは分かっているがそれでも席を探して歩き回ったが無駄に終わる。
結局そのままデッキでふてくされるように地べたに座っていた。
暫く経つと・・・車掌が「どちらまで?」と聞いてきた。
とりあえず鳥取までだと答えると「次で前が空きますから」という。
そうだ、上郡で降りるヤツが結構居るのだ。
私は席を取りやすい位置まで行き、上郡に着くと同時に座ることが出来た。
後は鳥取まで寝てればいいのだ。何も考えてなかったので、鳥取までしかキップを買っていない。
乗り換えや時間待ちなどは現在の体調では絶対にやりたくなかったので、葵ちゃんを呼び出す事にした。
最近は何かと忙しい彼だが、このときばかりは偶然にも時間が空いていた。
迎えに来て貰えるように頼み込んで電話を切った。
なんかイヤな汗が滲み出てカッターを濡らしている。
体調は急変こそしないが、あまり良い方向へ向かっているとも思えない。やっとの思いで鳥取に到着した。
取りあえず到着の電話を助手とtnkさんに入れて・・・おこうと思ったのだが二人とも留守電だった。
ローソンの前で待っていると、暫く経ってから葵ちゃん見参。
車に乗り込み、ここまでの苦労話?をして湖山に帰り着いたのだった。なお、前半はサックリ書いているが、十分忙しかった事を記す。
体調がまともだったから、問題無かったのだ。
Sep.24,2000 (Sun)
昼過ぎに葵ちゃんから入電、「ちゃんと生きているか?」との事・・・・って生きてるってば。
どうも今日はポッカリと暇が出来たので、以前より果たせていない映画を見に行こうという事になった。
それでもまだ時間がある・・・ので取りあえず遅い昼飯に出かけた。映画の時間になってようやく映画館へ。
学生料金用の学生証を出そうと思っていたら、レイトショウ割引で一般も学生も無いとのこと。
金を払って入場すると・・・・・誰もいなかった。
始まる5分前にだよ?それでも誰もいなかった。
葵ちゃんと二人で「まさかこのまま誰も来ないんじゃ・・・」などと言っていると、上映時間が来た。
そう、ものの見事に誰も来なかった。二人で映画館を独占状態であったのだ♪いやぁ、何年ぶりかなぁ・・・3・4年前にも私は一人っきりって映画を見たことがあったが、久しぶりにこれがきたのだ。
この辺りは鳥取という立地条件が有り難くなるねぇ。
Sep.25,2000 (Mon)
さて、暫くまともな更新をしていなかったが、そろそろ雑多な内容の日記を再開したいよな。
なんてぇか、学会ってやっぱり忙しくて当然だな。
忙しくない学会ってのも、かなり珍しいかも知れないねぇ。ではいつもの適当な話題へと移ろうか。
内定先の会社から、配属先を知らせるメールが来た。
一応最初に提出したエントリーシートでの希望は、オープンシステム事業部である。
で、結局何処になったか?というと『医療システムセクション(事業部)』である。
しかも、事業部の内部コードがそのままのイニシャルで”MS”というまっこともって不吉である。
こう言ってはなんだが、以前とある病院の内部話をこき下ろしたものを書いたが・・・まさか読んでないよな?(^_^;)
なんか、最初にコレを聞いた瞬間、もしかして会社の人間がコレ読んだんじゃ無いか?・・・・と思ってしまったのだ。
ハンドル名だし、一度や二度の面識程度じゃ繋がらないハズだ。
ちょっとやそっとじゃ分かるわけは無いのだが、やっぱり疑ってしまう。
まぁ、そんなことで人事を決めるような会社では無いとは思うのだが、因果応報というかそういうものを感じた。ぶっちゃけた話、一番行きたくなった部署である。
しかしまぁ、決まってしまったものはしょうがない。
そこでたっぷりと技術を吸い取るのが私の使命だ。ミーハーと言われようが、やっぱり色々と出来てしかも最新の技術を扱える部署の方が魅力である。
しかし、現実はそう巧く運ばない。
だったら、配属先でしっかりとやるしかあるまい。
Sep.26,2000 (Tue)
セブン絡みの事を書いた為に、この日はキャンセル。
Sep.27,2000 (Wed)
◇セブンと言ったらLotus7!
ビデオ屋で『eX-D』(エクスドライバー)とかいうヤツを借りて観た。
藤島康介の企画原案によるOAVである。
いわゆるヤツの趣味丸出しの車が、バンバン走りまくる作品である。
車に興味がある人間にはそれなりに面白いヤツであるのだが、そうじゃない人間にはハッキリ言って面白くも何とも無いのではなかろうか?という内容。
因みに第一回で出てきた主要な車両は、ロータスヨーロッパ・スバルインプレッサ・スーパーセブンの三台。
因みにセブンは、ノーズコーンやカラーリングからすると、どう考えてもJPE(ジョナサンパーマー・エヴォリューション)である。いつぞやの『逮捕しちゃうぞ』OAVのときのように、実車から音を拾ってやっている。
映像特典として、実車から音を拾ったロケが入っていたのだが・・・。
ロータスヨーロッパやインプレッサはちゃんと実車を用意していた、だが・・・
セブンに関してはJPEのカラーリングのくせにワンメイクレースの車両を持ち込んで拾っていたのだ!
日本にJPEは入っているハズだ!・・・3台無いだろうけど。だったら実車持ってこい!
外見だけJPEにするんじゃ無い!
ランチャストラトス借りて来れるんだったら、JPEぐらい探して来いや(-_-;)
どういう基準でワンメイク用のセブンを持ち出したかは知らないが、せめて中身がボグゾールユニットであるならば、私も多少は納得しよう。
大まかにVAUXHALL(ボグゾール)ユニットの説明をしようか。
いわゆるケントユニットに代表される古参というかベーシックなエンジンに対し、ボグゾールはニュージェネレーションと言える新しいエンジンである。
1991年にデビューしたこのエンジンは、ボグゾール・コスワースKBAという名前である。
そう、あのコスワースが絡んでいるのである。
エンジンとして通称はKBAの方が通りがよい。
JPEを筆頭に、250ps/188ps/200psといったバリエーションがある。
JPEの抜きん出た出力(250ps)は、スウィンドン・レーシングにより開発された。つまりだ、あのワンメイク用のセブンのユニットがJPEと同じで無くても、
ボグゾールユニットを載っけていたならば、同型エンジンという事で納得してやるのだ・・・
などとかなり否定的に書いて来たが、セブンのワンメイクレースでのボグゾールユニットは非常にポピュラーである。
シリーズチャンピオンを獲った車の多くが、ボグゾールレーシングなのだ。
ただ、私の記憶が確かならば、ボグゾール・レーシングはエンジンチューンが禁止されていたはずである。
つまりだ、例え同じエンジンであってもJPEとボグゾール・レーシングの間には50馬力からの違いがあるのだ。ああ、やたらとヲタクな内容を書いてしまったな・・・しかしだJPEというのはセブンの最高峰なのだから、それなりに・・・という思いなのだ。
因みにジョナサン・パーマーってのは、80年代にF1とかで活躍したドライバーだ。
ロータスF1に乗った事は無いのだが、「ジム・クラークカップ」を貰っているドライバーだ(ジム・クラークってのはSGIとかネスケとかのアレとは違うからね)。
でこの人の名を冠したスーパー・セブンのハイエンドが、JPEであるのだ。
とにかくJPEは他のセブンとは違う、スペシャルなヤツなのだ。
外観こそ同じであるが、中身は全く違う。
KBA/2L/250psのスペシャルチューンエンジンを載せ、サスペンションも専用を奢ってある。
そして全てのセブンがそうであるように、その軽さを最大の武器として並み居るスペシャルカーを負かしてしまう。
そんな硬派なマシンがJPEなのだ。さて、JPEの事ばかり先に書いて本末転倒であるが、ここでセブンの歴史をちょっとばかし書いておこう。
日本でセブンと言うと、某広島のバンケルローターエンジンを積んだアレを思うバカが多いが、車でセブンと言ったらロータス・セブンでありケーターハム・スーパーセブンだ。さて、セブンと言えばロータスである。
LOTUS(ロータス)は、皆さんご存じであるアンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンの会社である。
まず、セブンの系譜のルーツはマーク6というフォード系のパーツで組み上げられた車であった。
この車が全ての始まりであった。
これを受けて’57年に登場したのがセブンSr.1である。
鋼管スペースフレームにフロントがダブルウィッシュボーンタイプで、リアが二組のトレーリングアームと一本のダイアゴナルリンクという構成。
エンジン構成から、セブンF・セブンC・セブンAという3つのバリエーションがあった。
この中のコベントリークライマックスを載せたセブンCが最初のスーパーセブンである。
そして’60年にセブンSr.2へモデルチェンジする。
このときにリアサスがAアームになり、現在まで続く基本構成ができた。
他の細かな部位も改良されている。
そして’61年にSr.1セブンCに冠せられていたスーパーセブンの名が復活する。
Sr.2 のスーパーセブンに積まれたエンジンは、コベントリー・クライマックスFWA/フォード109Eコスワースである。
そして、’62年にはフォード116Eユニットを積んだスーパーセブン”コスワース”が登場。
スーパーセブンの中に、スタンダードとコスワースチューンがあったのだ。
そして’68年にセブンSr.3が登場する。
細やかな点の変更とエンジンバリエーションが更に増え、ほぼ現在のセブンに非常に近い構成ができあがっている。
’70年に米国のバギーブームに乗ったフルFRPボディのセブンSr.4が登場。
しかし、このシリーズ4は不評で’73年には消えて逝った。
そして、このシリーズに”スーパー”セブンは無かったのだ。
そして、このシリーズ4を最後にロータスの手によるセブンは終焉を迎える。だが、セブンの歴史は途絶えない。
ケイターハム社が’68年にロータスより販売権を与えられていたために、’73年以降のシリーズ4の生産を始めた。
しかし、ケイターハム社は人気の無かったSr.4よりもSr.3を選択。
翌’74年からシリーズ3に手を入れたものを生産しだした。
この基本構造にどんどん手を入れ(進化し)ながら現在に至るのだ。
因みにケイターハム社の生産するセブンは、全てスーパーセブンである。クラシカルな外見の為に、車重が軽いだけの車と思われがちであるが、決してスパーセブンはそのような車ではない。
確かにスーパーセブンの最大の武器はその重量にあるが、同じ外見を保ちつつ細かな進化を常に続けているのだ。
代表的な所ではエンジンがそうであるし、サスペンションやブレーキ、ボディ構造に至るまで様々な進化を遂げている。
ケイターハム社のセブンのエンジンを挙げていくと、225E/ロータスツインカム/VTA/TC8/BDR/KBA/K4・・・tec。
あくまで型式であって、これらのエンジンは排気量やチューン等で様々なバリエーションが存在するのだ。セブンの歴史の中で最たるもののひとつがJPEである。
確かにベーシックなセブンとは違いすぎ、スペシャルなパーツもてんこ盛りであるかもしれないが、これも現代のセブンのひとつの形であるに過ぎない。
今後我々がレシプロエンジンを使い続ける限り、セブンも進化し続けるだろう。で、肝心のロータスなのだが、’73年にセブンの生産を終えたのだが、その後はエスプリ等のスペシャルな車を造っていった。
チャップマンのロータスを支えたのは、間違いなくセブンであるのだが、それはあくまで経済面とも言える。
元々マーク6を裏庭でせこせこと造っていった事が、ロータスの歴史である。
チャップマンが目指したのはモータースポーツの最高峰であるF1であったし、セブンを止めるととっととエスプリの様な高級スポーツを開発している。
セブンは初期のロータスを支えてくれた車ではあるが、豊かになってなお固執する車では無かったのだ。
しかし、ロータスの名があまり聞き及ばなくなった今にしてなおロータスのエッセンスを受け継ぐのが、スーパーセブンである。
チャップマンが見放したセブンこそが、今なお根強い人気と情熱を維持している事はあまりに皮肉であるが・・・・。ああ、なんてぇか日記に書くような内容じゃないね・・・。
Sep.28,2000 (Thu)
さて、昨日の分の日記はかなりアレな内容であるが、今日も今日とて似たような内容をお送りするかなぁ〜などと思ったのだが、2回連続はやっぱり止めておくか。
とか言っておきながら、やっぱりセブンの話でもするか。
最初に言うとね、ケイターハム・スーパーセブンという車は今でもキットカーとして売られている。
で、キットカーも知らないお馬鹿さんの為に説明するとね。
キットカーっていうのは、要はプラモデルのように、バラバラの状態で売られている車なのだ。
当然保安上無視できない様な重要なモジュールや、一般の人間が手を出せない特殊工具を必要とするパーツは既にシャシーに取り付けてある。
でも、それ以外は全くバラバラで提供されるのだ。
これはイギリス国内での特殊な税制のために生じた状態である。
何故か?単純に組み上げ工賃を計上しない為に、その分安くなるのと、完成車でないと徴収されない税金があるためである。
そのために未だにキットカーとして売られているのだ。
あ、でも当然組み上げた後に車検があるからね。日本に正規ルートで入ってくるスーパーセブンは、全てケイターハム社で組み上げられたものである。
それは、日本ではキットカーの状態で入ってきて組み上げた所で車検を通せないためである。
もちろん、イギリスでキットカーとして買って組み上げて車検通して、その後に日本に輸入ってのは可能だけどね。
でも、そんな面倒な事をやってもあまりメリットが無いんだよね。
組み上げる人間のフィーリングひとつで、配線の取り回しを決めていたのでは後々のメンテが大変だ。
って事で、日本向けのセブンは全てケイターハム社で組み上げられているのだ。で、私が死ぬまでにやりたいことのひとつとして、イギリスでキットカーのセブンを買って、向こうで組み上げて、それを日本に輸入したいというものだ。
やっぱりプラモだろうが、最近の自作DOS/Vだろうが、元々あったパーツを組み上げるにしても、やっぱり自分の手で組んだってだけで違うもんだろ?俺はそれがやりたいのだ。
Sep.29,2000 (Fri)
別に何て事無い話なのだが・・・The BeOS Bibleのvol.2が出ていた。
値段は約5千円。ちょっと手が出ない・・・。
むっちゃ欲しいけど、vol.1でさえ古本屋で安くなった所(3千円)を買った位などからね。さて、サイトデザインまでBeOSにちなんでいる割に、最近全くBeOSを弄っていない。
更に言うと本家のBe Inc.までかなりアレな状態である。
確認はしていないのだが、bedepotが閉鎖するかも知れないのだ。
それに最高経営執行者として、暫く前にスティーブ・サコマンが就任した。
ガセーおじさん、もうBeはどうでもいいのかい?俺が希望を託したハズのBeOSは、どんどん墜ちていっている。
パーソナル版によって裾野が増えたなどと言う者もいる。
しかし、Linuxの様に様々な意味でオープンなソフトウエアでは無い、私企業であるBe Inc.がリリースするOSなのだ。
ただ皆物珍しげに入れてみただけが殆どだ。
いや、とにかく使わせるという目的もあっただろう。
しかし、ユーザーが目論見程増えている訳じゃない。
Sep.30,2000 (Sat)
さて、車ネタが続くが・・・日記なので別に関係ないさ。
まぁ、コンビニで立ち読みしていた雑誌・・・ええっとヤングアニマルだったかな?
そこで連載されていた車漫画の話である。
「イニシャルD」のヒット以降の日本のコミック業界の無節操ぶりは皆さんご存じであろう。
いわゆる成年誌と呼ばれていたジャンルでも当然ながら、少年誌やその他でもやたらと扱われる様になった。
そのくせやたらと薄っぺらい内容のものも増え、まさしくどうしようもない状態。
その最たるもののような漫画に出会ってしまった。その昔、モトコンポにロータリーエンジン(バンケルローターね)という荒唐無稽なヤツがあったが、それはそれでぶっ飛びすぎてまだマシなのだが・・・・。
今回読んだヤツは、カプチーノ(スズキ)に載っけるというもの。
いや、コンパクトなロータリーエンジンならば十分可能である事なのだ。
実際、オージーには非常にポピュラーなエンジンスワップなのだ。
それに、日本でもカプチーノにV8を載っけてしまったクレイジー極まりない連中が居るのだから別段おかしくもない。しかしだ、しかしなのだ。
よりにもよってだ、なんでカプチーノに5ローターが搭載できるってんだ!(-_-;)
いや、スペース的には入るだろうよ・・・ハウジングの本体だけならな。まぁ、NAでカプチーノのエンジンルームに入ったとしてポート形状はどうなる?
5ローターじゃサイドポートは無理だろう?
それとも5ローター用のブリッジポート自作するか?
RX7で2ローター、コスモでも3ローター、ルマンのCカーでも4ローター・・・・で、単純に5ローター?
そんなデータもクソも無いエンジンで走れる訳ねーだろうが!
いや、走るだけなら走るかも知れない・・・でも全開で走るのと動くのは違うんだぞ。それに、単純に言って2ローターエンジン2個積むより重いんだぞ?
重量バランスは洒落にならん状態だぞ?
パワートレインはどうする?
どこのマシンのを流用する気だ?
それに熱は?5ローター冷やすラジエーターが一体カプチーノの車体の何処に載るってんだ?
で、燃料タンクはどうだ、あのカプチーノそのままのタンク積んでるの?
ダダ漏れ状態と変わらないエンジン動かすのに、オリジナルのままのちっこいタンク使ってるのか?
冗談じゃ無いぜ。
いいか?RE雨宮がその昔やったシャンテに2ローターとは全く違う事なんだぞ?
この荒唐無稽というかお話にならない作品だが、コレを読んでいるとS30のしかもL型で300km/h オーバーの最高速ランナーやってる方が十分現実的だ。
というか、「湾岸MIDNIGHT」自体はかなり良質な車漫画だ。
流行り云々以前からテーマ持ってやっているというのもあるが、機械に対する考え方に好感が持てる。
実際そういうもんだと結構うなずけるものだ。あの妙な作品を送り出した作者と編集よ・・・分かっていてやったとしても、それはやりすぎってもんだ。
というか、適当な車雑誌や先行している他作品参考に適当にやったとしてら、書くなそんなもん。